「近江湖東の古社巡り・その3」
<平成17年5月参拝・6月記載>
目次
その1・長浜「長浜ノ豊国神社」「長浜八幡宮」
その2・太郎坊山「太郎坊宮阿賀神社」
その3・野洲竜王「苗村神社」「大笹原神社」「鏡神社」
その4・草津守山「伊砂砂神社」「勝部神社」
太郎坊宮前駅から近江鉄道で近江八幡駅に戻ってくる。
15時20分。近江八幡から竜王町にむかうバスがある。約一時間に一本の運行。約20分後の15時40分頃にバスは「川守バス停に到着。付近はちょっとした集落ではあれど、歩き始めれば田園風景。
バス停から東に約1キロを歩くと、立派な楼門が見えてくる。
ただし、激しく逆光で眩しい。
「苗村神社」(国宝社殿・県社・式内社・なむら神社)
<滋賀県蒲生郡竜王町綾戸鎮座>
苗村神社東社
祭神:事代主命・大国主命・素戔嗚命
苗村神社西社
祭神:国狭槌命(くにさづち命)
東社はもともとを「長村神社(長寸神社)」と称しており、延喜式内の式内小社。創建年代は明かではない。
西社は安和2年(970)の創建。西社造営の際に、神地に植えた苗が一夜にして杉になったので「苗村明神」の名が起こったとも伝えられている。
西本殿<国宝>
三間社流造。鎌倉時代後期の徳治3年(1308)の造営。国宝。
東本殿<国重文>
建立年代は明かではないが室町期の建築様式。1430年頃とされている。
境内社十禅師社本殿<国重文・西本殿から向かって左>
室町期(1430年頃)の建立。山王二十一社の上七社の一社である「十禅師社」の分霊。天台宗護法神として勧請。
境内社八幡神社本殿<国重文・西本殿から向かって右>
室町期(1430年頃)の建立。
楼門<国重文>
室町期(1430年頃)の建立。
神輿庫<国重文>
天文5年(1536)に正一位の神位を受けた時に勅使の装束召替仮殿として建立。のちに神輿庫として用いたとされる。全国的に珍しい建物。
水田から楼門をみる。ただし逆光 |
開放的な「苗村神社」西社殿・参道 |
楼門<国重文> |
神輿庫<国重文> |
左 苗村神社境内は、かなり開放的な空間。 社殿は南面。 夕方は西日の日差しが眩しい。 |
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西本殿<国宝> |
拝所 |
西本殿<国宝> |
西本殿<国宝> |
式内社「長寸神社」でもある、「苗村神社」東社殿群 |
東本殿<国重文> |
東本殿<国重文> |
苗村神社は東西にわかれる。左が「西本殿」。右が「東本殿」。 |
神社が東西に別れている。東本殿と西本殿。規模としては西本殿が中心的。境内の気配としては西本殿は開放的であり、一方で東本殿は鬱蒼としている。その対比も興味深い。
まずは眩しい西本殿へ。太陽を直視するような激しい逆光状態。夕日が辛い。
全国区的には、そんなに名前が知れているわけではない神社。しかし国宝本殿に重要文化財建築物が林立している境内。この歴史の息吹く無人の境内を一人で満喫する時間が大好きだ。
川守バス停まで一キロ歩いて戻る。近江八幡駅に戻るバスは16時37分に発車し17時4分に駅に到着する。この先の私の綱渡り。さらに駅から17時06分というきわどい接続で近江八幡から「村田製作所」行きのバスにのると、より慌ただしいが面白くなる行動が出来る。
ちなみにこの「村田製作所」行きのバスは日祭日は運転数が激減するから要注意。この日は土曜日だったから助かったのだ。でなければタクシーという選択肢になってしまうだろう。
「大笹原神社」(国宝・郷社)
<滋賀県野洲市大篠原鎮座>
祭神
正殿:須佐之男神・櫛稲田姫命・
左殿:八柱御子神
右殿:宇多天皇・淳実親王・佐々木高綱公
創建年代は明かではないが、寛和二年(986)に越知諸実が社領を寄進し再建したとされているので、創建はそれ以前か。
現在の本殿は岩蔵城主馬淵定信が再建し、須佐之男神・櫛稲田姫命・八柱御子神を合祀。その際に「牛頭天王総社」と称した。
明治期に現在の社名に改称。明治18年に郷社列格。
当社付近は「鏡餅」発祥の地ともいわれており、付近は篠原餅の産地。平安期より栄えた東山道(中仙道)宿場「篠原」を行き交う旅人に愛された「餅」が名物。
大笹原神社本殿<国宝>
応永二十一年(1414)に建立。三間社入母屋造檜皮葺。東山文化の特色。
境内摂社篠原神社本殿<国重文・餅の宮>
祭神は石凝姥命(いしこりとめ)を祀る。」鏡餅の神様」ともいう。応永三十二年(1425)に建立。春日造。
伊斯許理度売神(石凝姥命)は当地付近を治めた鏡連の祖でもある。
大笹原神社参道 |
正面 |
摂社篠原神社<国重文> |
本殿<国宝> |
篠原神社と大笹原本殿は並ぶ |
舞殿から拝する。 |
村田製作所バス停から南西500メートルのところに「大笹原神社」という神社が鎮座している。
17時6分に近江八幡駅から出発したバスは17時36分に「村田製作所」バス停に到着。まだ「明るさ」はある。
たった一人の乗客である私はバスから一目散に猛烈に走り出す。
・・・時間がなかったのだ。こんな神社巡りは嫌いだけれども。
国宝神社。よりマイナーな神社は「国宝」であることすらも奇跡的な佇まいで私を迎えてくれる。この気配、この景観。大好きだ。いつまでも、日が落ちるまでここにいたい。そう思う気配に溢れていたが、私は時間を惜しむ人間。若いうちは、目先に捕らわれるのだ。より多くの神社を求めてしまうのが、悪い癖。
猛烈に走って、神社を詣でて、さらに猛烈に走る。
いやだ。こんな神社参拝はいやだ。
奇跡的に17時51分のバスに間に合う。・・・15分の滞在(走った時間を省くと実質は5分強)ですか。まったく。
バスの運転手と雑談。というかやっぱりお客は私一人。猛烈に息を切らせた私は不審だ。
「え−と、大笹原神社までいってました。」「その神社は有名なんですか」「えぇ、国宝の神社です」「ふーん、国宝ですか」という感じの、一般人との対話ではあるが。このあとの彼はプロフェッショナル。
「どこから来ました?」「埼玉です」「それは遠いところから・・・、本日のお帰りですか」「いえ、今日は草津に宿をとっています」「草津ですか・・・もしよろしければ、私ども近江鉄道バスが東京まで夜行バスを滋賀県から走らせてますので、お帰りの際は御利用なされてはいかがでしょうか」「!!!!」
さすが近江鉄道バス。そんなバスも次のバス停で下車。行き際に、眼に止まった神社があったので、帰り方は考えずに降りるのだ。
「鏡神社」(国重文・村社)
<滋賀県蒲生郡竜王町鏡鎮座>
祭神:天日槍命(アメノヒホコ命)
付近には鏡山(当社の南方約三キロ)があり、当地域は平安期から続く宿場。鏡とは天目一命がこの地で鏡を作った故事によるともいわれている地。
東山道(中仙道)の「鏡宿」。鎌倉中期頃には同地域の「篠原宿」がさびれ、鏡宿が東山道の要衝となったとされている。
鞍馬から奥州に向かう源義経が滞宿し当地で元服。源頼朝や宗尊親王、足利尊氏等も当地に宿陣している。
鏡神社の創立年代は諸説あるが、垂仁天皇の時代に帰化した新羅国皇子のアメノヒホコがこの地に没したのを祀ったことにはじまるともいわれている古社。
鏡神社本殿<国重文>
建立は室町中期。三間社流造本殿。
神社より500メートルほど南西に行った場所。
鏡神社宝篋印塔<国重文>
鎌倉時代中期。
石燈籠<国重文>
応永28年(1421)の銘。
鏡神社。奧に「源義経烏帽子掛けの松」 |
正面 |
舞殿。 |
本殿<国重文> |
境内 |
源義経元服の池 |
鏡神社宝篋印塔<国重文> |
石燈籠<国重文> |
鏡神社。バスの到着時間は17時53分。一時間しないと次のバスは来ない。
もう時間を気にせずに参拝するのだ。あとは日没との勝負。
実はこの地で「源義経」の名前をみるとはおもわなかった。この「鏡の地」は鞍馬から奥州に向かう牛若丸が元服し義経を名乗った土地であるのだ。
18時近いがまだなんとか日がある。バスで通ったので降りただけだが、なにかひかれるものがあった。おそらくは「源義経元服の地」という垂れ幕にひかれたのだろう。その垂れ幕がなければ私も降りることなく駅に向かっていたはずだった。
降りて正解。静寂につつまれ、弱い日差しのなかで、鏡神社は佇む。観光PR中の沿線道路も「義経ののぼり」が賑わうだけでさすがに時間も遅い。向かいの「道の駅」も静かなもので、こういう気配もありがたい。
神社を詣でて、「元服之池」を眺める。もっとも感慨を湧かせるための「装置」であり、この場所で身を清めた義経が元服したのかぁ、と歴史ロマンを脳裏に浮かべるぐらいしかすることはない。ただ、往来の道路は「中仙道」(国道8号線)であり、賑賑しいのが災いではある。
さて、どうしよう。バスは待たないとやってこない。
待っている間に日は暮れる。それまで、ここでぼーっとするのも芸がない。
今の時間は18時30分。
篠原駅までは北東に約3キロ。
ここで無謀な私は歩き出す。どうにもせわしない性格でじっとしているのが嫌いらしい。おとなしくバスを待てばよいものであるのだが。
「鏡」バス停で18時55分のバスを待つと19時14分に近江八幡駅。
18時30分に約3キロを歩けば、篠原駅着が約19時。そういう計算を私はするらしい。
・・・
実際、歩いてみた。途中で日が落ちた。なんか闇に包まれる中で未知未見の土地を歩くのが心寂しい。
19時5分。篠原駅に到着。
結局、10分の時間節約のために、無駄に35分間を歩くということをする私。
それでいて乗る電車は、近江八幡までバスで行った時の接続電車とおなじもの。このあたりの私の思考能力はかなり低下気味であるようだった。
いずれにせよ私はこの日の夜は草津本陣のある草津に泊まり、翌日に京都の赴くつもりであった。
そんなこんなでこの日は「竹生島」「長浜」「太郎坊宮」「野洲竜王」と激しく慌ただしい一日であった。
参考文献
案内看板、由緒書き等。
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名大辞典・25滋賀県