ホオリ命の神裔

 

 

ホオリ命がホデリ命を降した後

海神の娘でありホオリ命前述)の妻となっていたトヨタマヒメ前述)が海神宮からやってきて「私は既に身ごもっておりましたが、今産み時になりました。このことを考えると、これは天つ神の御子ですから海原にてお生み申し上げるべきではございませぬので、そこで参りました次第です。」と申した。
産屋の準備をし、いざお生みするときにトヨタマヒメは夫のホオリ命に「産みの時には国の本来の姿になって産みますので、どうぞ御覧遊ばれませぬように。」と仰せられた。
ホオリ命はそのことを不思議に思い、御産の姿をのぞき見ると、妻のトヨタマヒメは大鰐の姿となって這いまわっていた。ホオリ命はこれを御覧になり驚かれ、逃げ退かれたのであった。
トヨタマヒメは覗かれたことを知り、心に恥じて、御子を産み終わったのちに「私は常に海宮と地上を行き来しようと思っておりましたけれども、あなた様が私の姿を御覧になられましたことがまことに恥ずかしゅうございます。」と仰せられ、海宮との海坂を塞いで、海の神の国にお帰り遊ばれてしまった。この時の御子を天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)という。

しかしその後トヨタマヒメは、命の覗き見られた心をお恨み致したが、恋しさに耐えず、妹の玉依毘売(たまよりひめ)をさし上げ、妹が姉の御子を養育することとなった。さらにトヨタマヒメは歌も奉じ、ホオリ命はそれに対して返歌をなされた。
このヒコホホデミ命(ホオリ命)は高千穂の宮に580年おいで遊ばれたという。



その後、ホオリ命とトヨタマヒメの御子であるアマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズ命が、養育してくれた叔母のタマヨリヒメを妻として四柱の御子をお生みになった。五瀬命(いつせのみこと)、稲氷命(いなひのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)の四柱という。

 

ホオリ命とトヨタマヒメの御子

天津日高日子波限建
鵜葺草葺不合命

(鵜葺草葺不合命)

あまつひこひこなぎさたけ
うがやふきあえずのみこと
(うがやふきあえずのみこと)

・ホオリ命とトヨタマヒメの御子
・神武天皇の父神
鵜戸神社(官大、宮崎日南)

玉依毘売命
(玉依姫尊)

たまよりひめのみこと

・海神の娘、トヨタマヒメ(前述)の妹、ウガヤフキアエズ命の妻
・神武天皇の母神
・水の神、聖母神
・玉=神霊、依る=憑依、つまり巫女の意
・玉依姫と呼ばれる神は全国各地の伝承にあり、それぞれ別神である
・珠依姫と呼ばれる神をまつる神社、賀茂御祖(下鴨)神社(京都)玉前神社(千葉一宮)他

 

 

ウガヤフキアエズ命とタマヨリヒメの御子

五瀬命

いつせのみこと

・以下四柱すべて稲、食物にまつわる神々
・神武の兄としてともに東征する(後述
竃山神社(官大、和歌山)

稲氷命

いなひのみこと

・母神の国である海原を治める

御毛沼命

みけぬのみこと

・常世の国を治める

若御毛沼命
(神倭伊波礼毘古命)
神武天皇

わかみけぬのみこと
(かむやまといわれひこのみこと)
(じんむてんのう)

・葦原中国を治める
・東征の主役、橿原の地で初代天皇位におつきになる(後述
橿原神宮(官大、奈良橿原)宮崎神宮(官大、宮崎)

 

この四柱の関係は、さながらアマテラス大御神・ツキヨミ神・スサノヲ神の三界分立と同じような関係となる。

 

 

     以上で、古事記の上巻は終わっている。中巻は神武の東征から始まっている

     このあと、いよいよ神の世界から人の世界へと話は展開されていく。

 

 

前に戻る