「京都の神社風景 下鴨編」
<平成15年4月参拝・平成15年11月記>


賀茂御祖神社」/「河合神社

上賀茂神社参拝後に、一目散に下鴨神社を目指す。バスで連続参拝出来ることがなりよりも嬉しい。とにかく京都では行きたいところだけを無理矢理に参拝することにする。


「賀茂御祖神社(下鴨神社)」
(山城国一の宮・式内名神大社・二十二社第三位・官幣大社・世界遺産)
<京都府京都市左京区下鴨泉川町鎮座・朱印

祭神
西殿:賀茂建角身命(神武天皇を導いた金鵄八咫烏ともいう・造化三神の神皇産霊神の御孫ともいう)
東殿:玉依媛命

由緒
創祀の年代は特定できないが、神武天皇二年にはすでに賀茂建角命を奉斎していた氏族が日本書紀に記載されている。また、神武天皇の頃に御陰山に御降臨されたともいう。
賀茂建角命の御子である鴨建玉依彦命より11代後の大伊乃伎命の孫である大二目命が賀茂建角身命社を奉斎していたとされ、この社が今日の賀茂御祖神社の始源のひとつとされている。
その後、天武天皇の6年(677)に下鴨の現社地に造営されたとされ、また天平期に上賀茂社から分立したともいわれている。
奈良朝期以前から神威は高く、嵯峨天皇期には伊勢神宮に準じて斎王制度が35代続いていた。延喜式では名神大社。二十二社の第三位。山城国一の宮。
社殿のうち、東殿・西殿が文久三年造替で国宝指定。重要文化財が多数(ほぼ寛永五年造替)あり、現在では55棟が文化財指定とされている。また往古以来の景観を留めるものとして「糺の森」も国指定の史跡とされている。平成六年には世界遺産にも登録されている。
摂末社は河合神社・出雲井於神社(比良木社・国重文)・三井神社(国重文)・賀茂波爾神社が式内社で、29社を数える。
奈良期以降、全国各地に賀茂社が分霊されており、現在では全国に約1200社の分社があるという。

賀茂御祖神社
中門(国重文・以下全て寛永五年造替)
賀茂御祖神社
拝殿(国重文)。奥に本殿(国宝)あり
賀茂御祖神社 拝殿(国重文)前の末社・言社(国重文)
写真に写るのは「一言社」(中社)
東社は大国魂神(未歳守護神)。
西社(手前)は顕国魂神(午歳守護神)。
ちなみに私は「午年」なのだ。
賀茂御祖神社
唐門(国重文)
この先に「三井社」と「大炊殿」がある。
世界文化遺産登録を記念して公開されている神域。
賀茂御祖神社
三井神社(式内名神大社・国重文)
中社:建角身命
東社:伊賀古夜日賣命(建角身命の妻神)
西社:玉依媛命(建角身命の子神)
賀茂御祖神社
三井社末社(三社とも国重文)
諏訪社(建御方神)
小杜社(水分神)
白髭社(大伊乃伎命・別名猿田彦神)
賀茂御祖神社
式内社末刀社(水の神)が御降臨する磐倉という
「水ごしらえの場」

賀茂御祖神社 奥:大炊殿(国重文)
神饌を調理する社殿。神社建築群として貴重な建物。
手前:御井(国重文)
上屋を井戸屋。井筒を井戸屋形という。
賀茂御祖神社
舞殿(国重文)
賀茂御祖神社
橋殿(国重文)
御蔭祭の際に御神宝を奉安する御殿。
賀茂御祖神社
細殿(国重文)
歴代天皇の御幸や上皇法皇等の参詣に
歌会などがおこなわれた社殿。
賀茂御祖神社
神服殿(国重文)
夏冬の御神服を奉製する御殿。
近世期には勅使殿・着到殿。行幸の際は玉座ともなった。
古くから御所が災害にあわれた際の臨時御座所でもある。
賀茂御祖神社 出雲井於神社(比良木社・式内社・国重文)
祭神:建速須佐乃男命
山背国愛宕郡出雲郷の鴨川に坐す神社
神武天皇期に葛野主殿主部とある氏族が奉斎した社。
鴨社領出雲郷の総社
賀茂御祖神社
楼門(国重文)
高さ30メートル。
賀茂御祖神社
二の鳥居
賀茂御祖神社
二の鳥居と糺の森
賀茂御祖神社
一の鳥居と社号標

バス停からの入口が脇参道だったらしくいきなり境内にほうりこまれた気分。楼門をくぐることなく拝殿にはいってしまい、そのまま大炊殿・三井社まで参拝をしてしまうと、なにやら心の準備が間に合わない。やはり一の鳥居からはじめないと気分がでないものだと実感。それでも「下鴨社」は格段とレベルが違う。
昼過ぎからの京都散策であったのでかなり慌ただしい行動。
正直、糺の森はさびれていた。近代的に整備された森と比べてはるかに森はさびれていた。しかし、往古の息吹が根づいていた。神聖たる神の森だった。神代から受け継がれた歴史がつまっていた。私はこんな空間に魅了されていた。
慌ただしいけど、糺の森を歩いていると、なにやら心が穏やかになる。さすがに神域は伝統を保っていた。神の気配を漂わせていた。


「河合神社」(上賀茂神社境内摂社・式内名神大社)
<京都市北区上賀茂本山鎮座>

祭神:玉依姫命(神武天皇の御母神・本宮の祭神とは同名異神)

由緒
式内社。賀茂御祖神社第一摂社。鴨河合坐小社宅神社(かものかわあいにますおこそやけのじんじゃ)と称されてきた。
平安期には本宮の賀茂御祖神社同等に朝廷から崇敬されており「下の御社」ともよばれていた。ちなみにその際には「中の御社」「中賀茂」と賀茂御所神社を呼称していた。

方丈記の著者として著名な鴨長明は河合神社の神官家に生まれている。境内には鴨長明ゆかりの「方丈」が復元されている。

河合神社
河合神社(重文申請社殿)
河合神社
鴨長明ゆかりの復元方丈
河合神社
河合神社幣殿(重文申請社殿)

河合神社
貴布祢神社(上賀茂神社摂社・重文申請社殿)
祭神:タカオカノ神
ちなみに左端が任部社(ヤタガラス命)
河合神社
本殿(重文申請社殿)
河合神社
六社(重文申請社殿)衣食住の神々
河合神社
三井社(重文申請社殿)
六社(重文申請社殿)
諏訪社・街社・稲荷社・竃神・印社・由木社

三井社(重文申請社殿)
中社:賀茂建角身命
西社:伊賀古夜比賣命
東社:玉依比賣命

本来、河合神社は下鴨神社の境内として扱うべきだろう。しかし並みの規模ではなく、それこそ独立社でもおかしくないほどの規模を誇っている。
河合神社でもう一度、まったりと心を落ち着けて次にどうしようかなと考える。
南下すると出町柳駅まで到着できる。駅前でバス停を眺めていると、なんとなく次の目的地が「平安神宮」か「八坂神社」になりそうだった。平安神宮はなんとなく修学旅行にもいっているでなんとなく回避。まだ、行くべき時ではなかった。そうなると選択肢は「八坂神社」。京都のバス路線は苦手だし、バスが八坂神社まで運んでくれるというので、飛び乗ることにする。八坂神社という人が多そうな選択肢はあまり好きではないが、官幣大社だし、いかねばならないだろう。

参考文献
神社由緒看板及び御由緒書
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名辞典・京都府


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