綏靖天皇から孝安天皇まで

 ここからしばらくは天皇家の羅列となってしまい、神話的エピソードは特にない。ゆえに書いてもつまらないけど、さらに見てもつまらないけど、名前を挙げておかないと、話は後ろに続かない可能性もあり、神代からの血が続いているので、しょうがないけど列記する。

 

ちなみに第二代綏靖天皇(前述)崩御の御年は古事記45歳、書記84歳とある。

 

第二代綏靖天皇

河俣毘売

かわまたひめ

・師木県主(しきあがたぬし)の祖先にあたる
・綏靖天皇皇后

師木津日子玉手見命
安寧天皇

しきつひこたまでみのみこと
あんねい

・綏靖と川俣毘売の御子
・安寧天皇崩御の御年は古事記49歳、書記57歳とある

 

第三代安寧天皇

県主殿延

あがたぬしはえ

・師木県主(しきあがたぬし)の祖先にあたる
・川俣毘売(綏靖皇后)の兄、阿久斗毘売の父

阿久斗毘売

あくとひめ

・安寧天皇皇后

常根津日子伊呂泥命

とこねつひこいろねのみこと

・安寧天皇の第一子(伝なし)

大倭日子鉏友命
懿徳天皇

おおやまとひこすきとものみこと
いとく

・安寧天皇の第二子
・第四代懿徳天皇となり、四十五歳で崩御されたという

師木津日子命

しきつひこのみこと

・安寧天皇の第三子
・二人の御子の内、一人は不詳、伊賀の須知の稲置、那婆理、三野の祖先とされる
・もう一人は下に記する御子

和知都美命

わちつみのみこと

・師木津日子命の御子

蠅伊呂泥
意富夜麻登久邇阿礼比売命

はえいろね
おおやまとくにあれひめのみこと

・和知都美命の娘(長女)
・第七代孝霊天皇の后となる(後述

蠅伊呂杼

はえいろど

・和知都美命の娘(次女)
・第七代孝霊天皇の后となる(後述

 

第四代懿徳天皇

賦登麻和訶比売命
飯日比売命

ふとまわかひめのみこと
いいびひめのみこと

・師木県主(しきあがたぬし)の祖先にあたる
・懿徳天皇皇后

御真津日子訶恵志泥命
孝昭天皇

みまつひこかえしねのみこと

・懿徳天皇の第一子
・孝昭天皇となり九十三歳で崩御という

多芸志比子命

たぎしひこのみこと

・懿徳天皇の第二子
・血沼之別多遅麻(但馬)之竹別(ちぬのわけたじまのたけわけ)、葦井之稲置(あしいのいなぎ)の祖先

 

第五代孝昭天皇

奥津余曽

おきつよそ

・余曽多本毘売の兄
・尾張連の祖(ただし尾張連は天火明命<前述>も祖としている)

余曽多本毘売命

よそたほびめのみこと

・孝昭天皇皇后

天押帯日子命

あめのおしたらしひこのみこと

・孝昭天皇の第一子
・弟である孝安天皇の皇后となる忍鹿比売命の父
・春日臣、大宅臣、栗田臣、小野臣、柿本臣、壱比韋臣、阿那臣。多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟邪臣、都怒山臣、伊勢飯高君、壱師君、近淡海国造の祖

大倭帯日子国押人命
孝安天皇

おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと
こうあん

・孝昭天皇の第二子
・孝安天皇となり、百二十三歳で崩御という

 

第六代孝安天皇

忍鹿比売命

おしかひめのみこと

・孝安天皇の姪(天押帯日子命の娘)
・孝安天皇の皇后

大吉備諸進命

おおきびもろすすみのみこと

・孝安天皇の第一子

大倭根古日子賦斗邇命
孝霊天皇

おおやまとねこひこふとにのみこと
こうれい

・孝安天皇の第二子
・孝霊天皇となり百六歳で崩御したという

 

物語(笑)がはじまるまで、もうしばらく天皇家の一族の血統が続きます。御了承下さい。

なお、「大倭根古」は「大倭国を統治する」という意味で「日子」は男性の意味。ゆえに無駄に長い名前は敬称の枕詞だと思ってよし。

 

 

 

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