「熊野三宮巡拝記・その2」
<平成17年2月参拝>
目次
その1・那智大社編 「熊野へ」/「那智大社」/「飛瀧神社」
その2.熊野・花の窟神社編「新宮−有井」「花の窟神社」
その3.速玉大社編 「新宮へ」/「熊野速玉大社」/「神倉神社」/「阿須賀神社」/「新宮城趾」
その4.本宮大社編
その5.中辺路・闘鶏神社編
<熊野の朱印ページはこちらから>
「新宮−有井」
新宮駅を12時28分に出発する。紀勢本線の普通列車は2時間に一本程度しか走っていないので、なかなか乗るのが大変。私としては次の13時03分の特急で「熊野市」に赴いてもいいかな、と思っていたが、新宮での連絡待ち合わせが順調にいき、車中の人になる。
ちなみにこの30分の待ち合わせの間に昼食でもとれば良いものを、私は足早に「熊野阿須賀神社」と「徐福公園」に訪れている。
もっとも時系列よりも流れを重視するので、新宮の話は「速玉大社」でまとめることにする。
有井駅到着が12時55分。私としては有井駅でも熊野市駅でもどちらでも構わなかったが、有井駅が手前だったので有井から熊野市にむけてあるくことにする。この辺りは車窓も熊野灘をのぞむ贅沢な環境であり、鉄道旅としても最上の部類にはいる沿線風景。
昼さがり、かなりまったりとゆったりとして有井駅を降りれば、当然の如く無人駅。歩く方向は決まっているので、潮風に導かれるように足を運べば、早くも目的地と思われる岩肌を眼前に迎える。
「花の窟神社」(日本最古に分類される日本書紀記載の神社)
<三重県熊野市有馬町鎮座>
祭神
伊弉冉尊(イザナミ尊)
軻偶遇突智尊(カグツチ尊
由緒
日本書紀にも由緒が記載される日本最古に分類される神社。
日本書紀
「一書曰 伊弉冉尊(イザナミ尊)火神を生み給う時に灼かれて神退去(さり)ましぬ 故(か)れ紀伊国熊野の有馬村に葬しまつる 土俗(くにびと)此神の魂を祭るには花の時に花を以て祭る 又鼓吹幡旗を用て歌い舞いて祭る」(由緒書きから抜粋)
イザナミ尊がイザナギ尊二神が神生みをなされ二神が最後におうみになったのが火の神であるカグツチ尊。
しかし火の神であるカグツチ尊をおうみになったことで、イザナミ孫は火傷を負って死んでしまい、この窟に葬られたとされる。
イザナミ尊の御魂を祀るために、土地の人々は花が咲く季節に花を飾り、歌い踊って祭りを行うために、この地を「花の窟」と呼称。
この「花の窟」には神社社殿はなく、高さ45メートルの巨磐を御神体としている。自然崇拝の遺風を残すとともに、熊野の神として崇敬。
毎年2月2日と10月2日には「お綱かけ神事」がとりおこなわれ、約180メートルの大綱が岩の上から引き渡されている。
平成16年7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」として「花の窟神社」もユネスコ世界遺産に登録されている。
花の窟神社・正面 |
参道 |
遙拝場 |
花の窟神社 |
御神体 |
御神体 |
七里御浜から花の窟神社をのぞむ |
花の窟神社全景を七里御浜から |
砂浜は続く。熊野灘をのぞむ。 |
獅子岩付近 |
13時18分。花の窟神社に到着。もっとも神社といっても本殿があるわけでもなく、むしろ巨大なる御神体を仰ぎ見るわけだから、「神社」という施設はことさらには意味をなさない。
それでも急に鬱蒼たる樹木に覆われる参道を歩き、拝殿を兼ねている門を抜ければ、そこに神々しい空間が広がれば、神社慣れをした私も「なにごとかのありがたさ」を身に感じて手を合わせて頭を垂れてしまう。
頭を垂れても、すぐに頭をあげる。この自然崇拝の極みたる象徴に接するために私はわざわざ「周遊キップでエリア外」(手持ちの周遊キップは新宮・那智勝浦・白浜・紀伊田辺・本宮はフリーゾーン)になる当地まで訪れたのだから。
なにを考えるでもなく、対座する。時間の流れを忘れたかのように対座する。もっとも今日はこれで終わってもいいや、ぐらいの心持ちで訪れている。
ちかくにコンビニがある。手頃な食糧を手に入れて、砂浜におり立つ。二月の熊野灘。もちろん、こんな酔狂な寒潮風が吹きすさぶ場所にいるのは私一人。
海をみて、空をみて、山を見る。
腰をかけて、御神体を仰ぎ見ながら、波のせせらぎと柔らかい太陽の日差しを背景にして、食事と洒落込む。
今、この瞬間。最高の贅沢をしていた。
余人がみれば、かなり不自然な姿かも知れないが、私の心は晴れ渡っていた。満足していた。
熊野市と新宮市を結ぶ鉄道は間が悪いと2時間から3時間に一本ぐらいしか走っていて、私も鉄道時刻表とにらめっこをして完全に諦めて「花の窟神社三時間滞在」というスケジュールになっていたが、幸か不幸か間を結ぶバスは30分に一本のペースで走っていた。
私としては、最初は「三時間滞在」に諦めていたが、実際にこの場所に佇めば「三時間」もまったく苦にはならない環境。
ただ、私も私の予定がある。出来れば今日中に「速玉大社」も詣でたかったので、時間を考えた行動をせざるを得ない。
砂浜をあるく。歩きにくいにはわかっているがわざわざ砂浜を歩く。付近の名勝「獅子岩」を見つめて、そして浜街道を偲ぶ。熊野市から鵜殿村まで続く約25キロの「七里御浜」は伊勢神宮から熊野大社まで巡拝する参詣路として往古より歩かれてきた道すがら。
ただの砂浜かもしれないが、昔も今も変わらないだろう。一種の「熊野古道」を体感し、バス停に赴く。
14時37分。バスにのりこめば、風光明媚。眠たくなるような日差しをあびて、熊野灘をながめつつ新宮まで南下する。路線図をみればこのバスで「速玉大社」まで赴けるようでありがたいことであった。
続きは「新宮編」にて。
参考文献
境内案内看板・由緒書
神社辞典(東京堂出版)
郷土資料事典・30・和歌山(人文社)
他