「紀州和歌山・貴志川三社詣で・その3」
<平成7年1月参拝>
目次
その1・「貴志川線」/「日前国縣宮」/「大国主神社」
その2・「伊太祁曽神社」/「竃山神社」/「静火神社」
その3・「紀州東照宮」/「和歌浦天満宮」
番外・「南海貴志川線〜三社詣で路線〜」
貴志川線沿線の神社を詣で、そして若干の時間があった。和歌山周辺にも神社は多数あり、寄りたいところも多々であったが、わかりやすく手っ取り早く、「重要文化財」に心がひかれる。
アクセス的には「新和歌浦」行きのバスに乗るのがベストだが、これは一時簡に一本だけ。「和歌浦口」なら一時間に三本運行されている。
そんなわけで「和歌浦口」。そこから600メートルほど南に歩けば、そこに「東照宮」がある。
私はなんだかんだで各地の東照宮によく足を運んでいるような気もする。
別に家康好きもでもないのだが。
「紀州東照宮」(県社・重要文化財社殿)
<和歌山県和歌山市和歌浦西鎮座・朱印>
祭神
徳川家康公
徳川頼宣公
元和七年(1621)に紀州藩祖の徳川頼宣公(家康の第十子)の創建。安藤直次らの重臣を奉行に任じ、徳川頼宣自ら陣頭指揮をとって久能山を模して造営。
社地は和歌浦をのぞむ宮山にあり風光絶佳。
権現造りの社殿は創建当時のものであり、「本殿」「拝殿」「楼門」「回廊」「唐門」「瑞垣」「石の間」の七棟いずれも国指定重要文化財。
明治六年に県社列格。大正六年(1917)に旧県社の「南竜神社」<祭神:徳川頼宣公>を合祀している。
一之鳥居 |
二之鳥居 |
参道石段 |
楼門<国重文> |
境内 |
社殿<国重文> |
社殿<国重文> |
楼門から和歌浦をのぞむ。 |
東照に到着したのが、14時40分。JR和歌山駅から約40分ほどの時間がかかってしまう。バス待ち時間とバスの移動時間(約20分)と歩く時間を計算すれば妥当な時間配分か。
あいかわらずの曇天。そして見上げる石段。なにやら登るのが、登る前から疲れたのですが。石段を昇れば、国重文たる社殿群が私を迎えてくれる。目の前には、なるほどな、と納得する「東照宮」が鎮座。日光も久能山も世良田も川越仙波も訪れた私。さらには仙台も水戸も芝も上野も訪れた私。この東照宮的な神社社殿=権現造が好きなのかも知れない。神社らしい神社の風格が漂っているのが。
あいかわらず誰も居ない境内に私と巫女さんがいる。朱印を頂戴して、しばし休息して、ぼーっとして、和歌浦を眺めて、そして石段を降りる。
すぐとなり、それこそ100メートル隣に「天満宮」が鎮座しているので赴く。
「和歌浦天満宮」(村社・国重要文化財社殿)
<和歌山県和歌山市和歌浦西鎮座・朱印>
祭神:菅原道真公
紀州東照宮の西方。雑賀山の中腹に鎮座。延喜元年に菅原道真が太宰府に左遷される際に、風波をさけて和歌浦に立ち寄った。その後、康保年間(964−968)に橘直幹が太宰府からの帰路に当地に立ち寄って道真を追想して社殿を建立したことにはじまるという。
天正十三年の兵火によって焼失するも、慶長十一年(1606)に浅野幸長によって再興。
元和七年に東照宮が建立されると、当社は地主神として崇敬され、当社神主の安田氏が東照宮神主を兼務。
本殿・楼門は国指定重要文化財。また末社の多賀神社・天照皇太神宮・豊受大神宮も国指定重要文化財。
正面 |
参道石段 |
楼門<国重文> |
楼門から和歌浦をのぞむ |
社殿 |
本殿<国重文> |
末社の多賀神社・天照皇太神宮・豊受大神宮<国重文> |
末社は覆殿の中。<国重文> |
境内。ちょうど左の建物で書き初め大会の表彰が行われていた。 のどかな地元の気配が好感触。 |
御手洗池から和歌浦天満宮をのぞむ 付近は風光明媚。右側山中には東照宮あり。 |
天満宮は賑やかだった。たまたま新春書き初め大会が行われていて、付近の親子連れがわいわいがやがやと書き初めを競っていた。
私は場違いのようだけど、そこに神社がありそして重文社殿があるわけだから、無視するわけには行かない。
・・・また石段。あいかわらずの石段をのぼれば東照宮よりも開けた空間の先に和歌浦が広がる。そして書き初め大会の表彰式。受け付けテントの神職さんに「お忙しいところ申し訳ないです。朱印、大丈夫ですか」と遠慮気味に申し出て、朱印を頂く。
末社を眺める。三棟の末社は「桃山文化」を色濃く残す社殿として国重文に指定されている。ちいさな社は覆殿の中で並んでいる。ゆっくりと手を合わせて鑑賞して、そして天満宮本殿もなかなか見にくいながらに鑑賞。
親子連れで賑わう境内で、「ただの参拝客とは違うのだよ」オーラを出していれば、社殿前を退いてくれたので、ありがたく感謝して社殿の写真を撮る。そりゃあ、一眼デジカメで神社を撮っていれば、退いてくれるよな・・・。とにかく感謝。
時間も15時を過ぎる。
この近くには神社も多く、600メートル南東の和歌浦には「式内社・玉津島神社」もある。
しかしここに来て時間が急激になくなる。なぜなら私は東京に帰らなくては行けないから。・・・またまた無茶な日帰りで和歌山に来たのですが。
とにかく、そろそろ帰路につかねばいけなかった。
600メートルの往復とバス停までの時間を考えると、あまり冒険が出来ない。いずれにせよ和歌山にはまだまだ神社があるわけで、再訪するのも必至なので、本日は目の前の式内社を無視するのは口惜しいけど、これにて切り上げとする。
なにやら、あいかわらず不安定な空模様でもあった。
参考文献
境内案内看板・由緒書
神社辞典(東京堂出版)
角川日本地名大辞典・和歌山県
他