「紀州和歌山・貴志川三社詣で・その1」
<平成7年1月参拝>
目次
その1・ 「貴志川線」/「日前国縣宮」/「大国主神社」
その2・「伊太祁曽神社」/「竃山神社」/「静火神社」
その3・「紀州東照宮」/「和歌浦天満宮」
番外・「南海貴志川線〜三社詣で路線〜」
「貴志川線」
1月の中旬。あいかわらず慌ただしい事をしていた。
「大阪国際空港」から「南海貴志川線」へ。付近の神社を詣でて、和歌山市内に。
そしてその日のうちに飛行機で東京に帰京という、日帰りの強行。
まったく、いつもながらに無茶をしている。しかし、日帰り強行の無茶は、この旅が最後になる予感。いろいろあって、日帰りしなくても良い環境になったから。
南海貴志川線。なにかと廃線の噂が出ている。そうなる前に、訪れたかった。それゆえの強行ともいう。
「南海貴志川線〜三社詣で路線〜」。電車に関しては、すでに特集ページに記載した。
ここでは神社を記載。
もっとも4ヶ月もすぎると、記憶が曖昧なのは致し方がない。
*廃止の噂が絶えなかったが「岡山電鉄」が貴志川線を引き継ぐことが決定。
*和歌山電鐵株式会社わかやま電鉄貴志川線として生まれ変わることになった。
関空から日根野。乗り換えて和歌山に到着した時の時間は9時20分頃。
南海貴志川線は約30分に一本が走っている。そしていったばかり。約30分を待つのも、時間が勿体ないのでとりあえず「日前宮」まで歩くことにする。
9時35分。日前宮前に到着。距離にして、1キロ強ほど南東に鎮座。そんなに遠い距離ではない。
ただ、雲行きが悪い。致し方がないが。
「日前神宮 国縣神宮」(紀伊国一之宮・官幣大社・式内名神大社)
<和歌山県和歌山市秋月鎮座・朱印>
日前神宮(ひのくまじんぐう)
祭神
日前大神(ひのくまのおおかみ)・・・日像鏡
相殿
思兼命(おもいかねのみこと)
石凝姥命(いしこりどめのみこと)
国縣神宮(くにかかすじんぐう)
祭神
國懸大神(くにかかすのおおかみ)・・・日矛鏡
相殿
玉祖命(たまおやのみこと)
明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)
鈿女命(うづめのみこと)
両神宮は同一敷地内に鎮座し、ともに南面している。向かって左側に日前神宮。向かって右側に国縣神宮が鎮座。古くから併称され日前宮(にちぜんぐう)」と呼んで両宮示す場合も多い。
天照大神が天の岩屋戸に隠れたさいに、天照大神を招き出すために思兼命の提案に従って、石凝姥命が天照大神をかたどった日矛を作ったとされ、その矛を「日前神」としてまつったとされる。
また、この時に鋳造された「八咫鏡」が伊勢神宮、「日像鏡」が日前宮に、「日矛鏡」が国縣宮に奉斎されたともいうし、また矛と鏡をつくり、矛を日前大神、鏡を伊勢大神としてまつったともいわれている。
日前宮の神体に関しての諸説は、大和朝廷皇祖神やる伊勢大神とその鏡に対する神話的意味づけの混乱にに準じており、古代以来の日前宮は皇祖神に準じる扱いであったとされる。
日前宮と国縣宮はべつべつの神社として併記されているが、一社が別れたのか、もとから別なのかどうかは不詳。
天孫降臨に際して、天道根命(国造・紀氏の祖先)が日像・日矛鏡を奉斎して持ち帰り、神武天皇二年のときに浜の宮神社(和歌山市毛見)の地に祀り、垂仁天皇十六年に「名草之万代宮」(=現在地)に遷座したという。以来、天照大神の「八咫鏡」の御同体として篤く崇敬。
当社は「伊太祁曽神社」ともどもに紀伊国造・紀氏が奉斎してきた神社。
延喜式では両宮共に「式内名神大社」。月次・相嘗・新嘗にもあずかっている。
明治四年に両宮共に官幣大社列格。大正十五年に現社殿が造営された。
日前宮・国縣宮は同一の入口 |
まっすぐすすむと分かれ道。中央に神域。 右に日前宮、左に国縣宮。 |
日前宮側からみる。手前左、日前宮。奧左が国縣宮。 |
上写真と同一部分。結界がある。両宮の中央。真ん中の神域 |
日前宮 |
国縣宮 |
日前宮・参道。摂末社が並ぶ。 |
国縣宮・参道。やはり摂末社が並ぶ。 |
日前宮・正面拝殿 |
国縣宮・拝殿。 |
日前宮・社殿 |
国縣宮・社殿 |
日前宮・社殿 |
国縣宮・社殿。基本的には同じレイアウト。 |
参道の摂末社群は名も知れぬ祠多数。 |
参道の摂末社群。やはり無名社。なかには崩壊した祠も。 |
9時35分。社頭に到着。噂には聞いていたが、流石に「紀の国、木の国」の「木の神」だけある。太古の息吹を感じる「神々の杜」は、天候的には湿った曇天が似合うのかも知れない。現に、このあと、見事に雨が降ったのも木の国らしくて、あえて喜ばしい。
難しい事を考えようとは思っていない。県庁所在地たる和歌山駅から歩いていける距離。それもすぐちかくにこれだけの「神々の息吹を感じる杜」があることに感謝する。
ちょうど、入学試験かなにかがあったようで、学生を乗せた車が境内入口の駐車場を往復している。それでもわずらわしくはない。鳥居の向こうには原生林が広がり、日前宮と国縣宮という大きな神社が並立している。その回りを小祠が連なり、様々な神々が形があろうがなかろうが、そこに鎮座されている。神々しいまでの空間が目の前にある。
伊勢の神宮も内宮外宮、対の宮である。この「ニチゼングウ」も日前宮と国縣宮、対の宮。同じく接し、参拝する。
南海貴志川線との時間の兼ね合いを考えつつ、有意義な時間をたっぷりとすごす。
途中で雨が降り出すのも、木の国の一之宮。乙なものであった。
南海貴志川線。私は鉄道ファンも兼ねているので、どうしても終着駅に行きたくなる。終着駅にいって戻ってくるだけだが、それでも終着駅にも神社があることを地図上で確認。とりあえず貴志駅まで行こうかと思う。
10時19分。日前宮駅を出発すると10時44分に貴志駅に到着。折り返しは6分だが、さすがにそれでは何も出来ないので11時20分の貴志駅発電車に乗るつもりで駅前を走り出す。貴志駅からまっすぐに南下したところ、600メートルの所に神社が鎮座していたから。
「大国主神社」(旧村社)
<和歌山県那賀郡岸川町国主鎮座>
祭神:大国主神
相殿:天照大神・少彦名命
古くは国主明神社とも呼称。地元では「おくにっさん」と通称されている。貴志川の北岸の小高い場所に鎮座。社前で貴志川は淵となり、国主淵(御手洗淵)とも呼称。
創祀は未詳。大国主神が八十神のねたみで殺されそうになっていたさいに、母神の教えで木の国の大屋毘古神(伊太祁曽神社)のもとに逃れる途中に当地に立ち寄ったことにちなむともいう。
大国主神社。左が貴志川 |
正面鳥居 |
境内は東面。整頓された美しい社地。右は舞殿 |
社殿。 |
由緒由来は存じてないけど、訪れてみた。折角「貴志」まで来たのなら、という心持ち。貴志川にそって登り坂。完全にばてたのですが、そんなに持ち時間があるわけはないので駆け足参拝。いつもながらに慌ただしいのだ。
車道を兼ねた参道を登れば、神社敷地が広がる。社殿は東面している。すなわち貴志川の方を向いている。もっとも社地自体が貴志川に沿っており、川は南から東に折れて、さらに北に流れている。その直角地帯(=淵)に鎮座している。
よくまとまった神社は、わざわざ訪れた意義を感じ取れるほどに、清涼感があった。シンプルながらに堂々とした「舞殿」は二階建式。関東ではなかなか見かけない舞殿に見惚れ、そして同じく関西的な社殿に拝する。苔むした気配と、その空間に感謝して。
さて貴志駅に戻る。駅で電車に見惚れて、「乗って残そう貴志川線」に敬意を表する。もう廃線はこりごりだ、と各地の廃線鉄道に乗ってきた私は、ここが廃線になるまえに「三社詣で」をしておきたかった。
ついでは貴志駅から伊太祁曽駅に向かおう、と思う。
参考文献
境内案内看板・由緒書
神社辞典(東京堂出版)
角川日本地名大辞典・和歌山県
他