神のやしろを想う・特別編「お伊勢参りの風景」
3.月讀・倭姫編
1.外宮編 目次 / 2.内宮編 目次
3.月讀・倭姫 目次
「ゲツドクさんへ」/「内宮別宮・月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮」
「倭姫宮へ」/「内宮別宮・倭姫宮」/「一瞬の休息」
「ゲツドクさんへ」
さて、そろそろ執筆スピードもペースダウン。内宮さんを参拝して、周辺の摂社などを見聞。事のついでに「おはらい町」「おかげ横町」などもひやかすが、とくに興味深いものはなし。伊勢に「観光」に来たら欠かせないスポットというが、私は伊勢に「参拝」に来た。ゆえに他にもすることがたくさんあるので、そんな観光は老後の楽しみに残しておく。今は、ただ若さにもまかせて遮二無二突き進むだけである。
内宮前の道を一直線に北上すると、道しるべのように「猿田彦神社」が鎮座している。有名神社だし一応は参拝しておくが、「お伊勢まいり」とは別物なので、ここでは省略。とにかく文章上は「ゲツドクさん」まで北上する。
地図を見るも、道は一直線なことに気が付き、地図をしまつて、とにかく南下する。今思えば地図を見ていた方がよかった。ここでつまらないミスをするが、今はゲツドクさんの鳥居前に到着。自転車を脇に止めて境内に足を進める。
「内宮別宮・月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮」
「皇大神宮別宮」
1「月讀宮」
祭神:月讀尊(つきよみのみこと・詳細)
2「月讀荒魂宮」
祭神:月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
3「伊佐奈岐宮」
祭神:伊弉諾尊(いざなぎのみこと・詳細)
4「伊佐奈弥宮」
祭神:伊弉冉尊(いざなみのみこと・詳細)
四宮とも南に面しておまつりされている。これは「皇大神宮」の方向でもある。伊勢の神社の多くは東西に遷宮するが、月讀四宮は立地上の関係から南北に遷座する。
境内には右(東から西へ)から「月讀荒魂」「月讀」「伊佐奈岐」「伊佐奈弥」の順で鎮座しているが、参拝順序としては「月讀」「月讀荒魂」「伊佐奈岐」「伊佐奈弥」の順番で参拝するのが良いという。
立地は外宮と内宮を結ぶ「御幸道路」の中間に位置し、内宮からは1.8キロ、外宮からは3.8キロの距離にある。
月讀尊は天照大御神の弟神。外宮別宮の月夜見宮と同神。延喜式神明帳には「月讀宮二座 荒御魂命一座。並大。月次新嘗。」とある式内大社。
この月讀宮は外宮の豊受大御神や内宮の天照大御神と同じように「和御魂」と「荒御魂」がまつられている。
月讀宮・同荒御魂宮と並立するように伊弉諾尊・伊弉冉尊をまつる二宮が鎮座している。この両神は日本の国土及び森羅万象をお生みになられた神で、天照大御神・月讀尊の御親神でもある。
第50代桓武天皇の延暦23年(804)ころは「月讀宮一院、正殿四区」とされていたが、第56代清和天皇の貞観9年(867)8月に伊佐奈岐・伊佐奈弥両宮に「宮号」が下された。第60代醍醐天皇の延長5年(927)に延喜式が上奏され、このときは月讀・荒御魂両宮で一院、伊佐奈岐・伊佐奈弥両宮で一院をなしており、現在の四宮それぞれが垣根をめぐらすようになったのは明治6年からである。ちなみに「一院」を称していた頃は「神像」のような像があったという。
内宮(皇大神宮)別宮 月讀宮 |
手前から月讀宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮の三宮 月讀荒御魂宮は画面右側で入りきらなかった(苦笑) |
月讀宮 |
月讀荒御魂宮 |
伊佐奈岐宮 |
伊佐奈弥宮 |
境内はすっきりしているかと思ったら意外と立派な参道を有していた。参道で神社に奉職している方が掃除などをしている。いつでも掃除しているし、キリもないような位に落ち葉もあるが、掃除という行為も神様への奉祀であろう。そんなことを思いつつ、神職さんに挨拶もしつつ、境内の奥へ進む。
目の前に古殿地があり、そのちょっと下の方に現在の「正殿」がある。境内林は立派で広さを感じるも、実際の鎮座場所は意外と窮屈な印象。真っ直ぐ目の前に「月讀宮」があり、同じようなのが四宮並んでいる。ただし私の目では三宮が同じに見え、木漏れ日の影に隠れた形の「荒御魂宮」だけは気配も違い、どうしてか暗さを感じる。上手い具合に太陽が木漏れ日をうみだしていた。
正面の「月讀宮」から左に「伊佐奈岐宮」「伊佐奈弥宮」。そして月讀宮の左隣に「荒御魂宮」。写真も同じ角度では撮ることがかなわないのが「荒御魂」であった。
正直、同じにしか見えない。写真を見物するだけでも「全部同じじゃないか」と言われそうだけれどもそれは禁句。まつられている神とそれにまつわる歴史が肝心であって「やしろ」という容器を気にしてはいけない。そうは思うも、さすがに参拝も月讀宮で正式参拝を行い、あとの三宮は略式参拝。
社務所。誰もいない。当然だろう。常勤の神職さんは掃除をしていたのだから。一応、中に一声かけるも誰もいないので、参道まで呼びに行く。そして「御朱印」を頂く。あわただしいような、のんびりなような、そんな参拝だった。
月讀宮境内皇大神宮末社
「葭原神社」(あしはら神社)
祭神:佐佐津比古命・宇加乃御玉御祖命・伊加利比賣命
田畑を守護する五穀の神々。月讀宮の境内、四宮の手前あたりに小さく控えめに鎮座している。
「倭姫宮へ」
次に行く場所は単純に倭姫宮だと考えていた。現に単純に自転車をこぎ出して道を北上するだけだった。時間も心配だったし、脇をみる暇がなかった。
これが失敗だった。この月讀宮から五十鈴川に沿って北東に1キロの方向には「神宮神田」がある。1キロぐらいなら行った方が良いにきまっているのに、すっかり失念していた。この「神宮神田」からさらに3キロほど五十鈴川を北上すると皇大神宮摂社筆頭の「朝熊神社」があったりするが、そこまでのゆとりはない。式内社といえども「摂社」めぐりをはじめてはキリがない。なんとなく「神宮神田」が見たかったが、まあ今度の機会にする。
今はまっすぐ「倭姫宮」に向かうだけ。
「内宮別宮・倭姫宮」(やまとひめのみや)
祭神:倭姫命(やまとひめのみこと・詳細)
月讀宮から道なりに1キロすすんだ「倉田山」の緑の麓に鎮座している。神宮別宮のなかではもっとも新しい宮。倭姫命は天照大神の御杖代(みつえしろ・神の御杖となって、御神慮を体して仕えられるお方。)として大和から伊勢へ巡幸し、神宮の祭をはじめ、数多くの摂末社を定めた垂仁天皇の皇女(詳細)。このような功績がありつつも倭姫命をお祭りする宮社がないのはおかしいとして、大正12年11月5日に鎮座された。神宮の別宮・摂末所管社の多くの御由緒は極めて古く奈良時代以前のものであるが、この倭姫宮はきわめて新しい「別宮」である。
内宮別宮・倭姫宮 |
倭姫宮参道 |
内宮別宮。倭姫宮 |
内宮別宮・倭姫宮古殿地 |
一番新しい「別宮」という先入観がある。そんなイメージからかもっと開放的で明るい社を想像していた。ところがこの参道はどうだろう。荘厳な森の緑に囲まれた空間は、神世の時代を喚起させるほどに「らしさ」があった。もともと「倉田山」という空間を利用しているからでもあるが、そんなに新しさを感じはしなかった。暗く、そして古さをも感じる石段をのぼると急に空間がひらける。明るく日がさし込む参道の奧、左側に別宮が鎮座し、右側が古殿地。
やしろはずっと見てきた「別宮」と同じものだけど、新しさを感じる。式年遷宮で「建築時期」は同じなのに、他の別宮よりも格段と新しい「やしろ」を感じるあたり、先入観というイメージは鮮烈であった。
社務所で例の如く「御朱印」を授かる。さらにはいままでの別宮にはなかった「参拝記帳」もする。「どこから参拝に来ました?云々」「武蔵国埼玉です・・・云々」不思議と神職さんと話が弾む。ここでひとつ懸念になっていたことも訊ねる。「別宮の社務所はどのぐらいまで開いてますか? これから瀧原宮に行こうかと思っているのですけれども、ちょっと遠いので夕方4時過ぎになってしまうんですけど大丈夫ですか?」「今は神宮と同じように夏時間ですので、大丈夫ですよ。云々」と話を聞き、ひとまずは安心する。最後に神職さんに「あちらにある神宮徴古館にもぜひ行ってください。いろいろと展示してありますので」と宣伝されてしまう。
「一瞬の休息」
せっかく宣伝されたし、是非とも行きたいのが「神宮徴古館」。行けばきっとなにか新しい発見もあるし、勉強にもなるだろう。ところがあいかわらずあわただしいのが私の悪いところ。鉄道趣味者らしく伊勢参拝中も時間に縛られ、さらにはこれから「瀧原」という得体の知れない山奧に行くための電車の時間もある。
ここはあきらめて本来の目的のみに固執する。寄り道をするのは今度にしよう。「伊勢という空間」は一回の旅行で満喫できるものではなく、今後も再訪しなくてはいけない地なのは確かなのだから。私にとってはいわば「京都」のような感覚。再訪の時の愉しみを残しつつまき散らしつつ、今はただ若さ故の猪突猛進で「目的」のみを消化していく。
かなり疲れ気味。幸いにして当初の第一目的は一応果たし終わった。自転車をこぐ。なんとなくヘンな文字が飛び込んできたのであわてて止まる。そのヘンな空間には「日蓮聖人誓いの井戸」なる井戸があった。ここで何かを誓ったらしいが、看板をメモするのを忘れてしまい何も覚えていない。神社にはやさしかった(!)日蓮ではあるし、母校の偉大な坊主なので粗略にするのも問題だけれども、まずは疲れた。何かを食べなければどうにもならないだろう。
「伊勢うどん」 なぜか私は観光ガイドブックに掲載されている「伊勢うどん」が名物なお店で「伊勢うどん定食」を食している。普段の私からは非常に珍しいけど「食」をしている。
以前、伊勢に「観光」に行った私の両親(別宮の話をしたら、それはなんだ、と返された。内外宮の別宮にすらいかなかった、とか。だから観光客。別宮にいけば参拝者と呼ぶけど/笑)は「伊勢うどんはまずい」といっていた。そこで私も「まずいのかな」という先入観があった。ところが疲労蓄積の、今の私にとっては「絶品」であった。何が嬉しいというと、ひさしぶりにまともな「食」をした(昨晩の「ながら」以来何も食していなかった/笑)というところ。こういうときは何でもおいしくなる。
もっとも鉄道紀行作家な宮脇俊三氏同様に「旅して何を食べた」という話を聞くのは嫌いだし、おいしいものを食べている話のたぐいは無意味に腹が立つので、この話はこれでおしまい。
「宇治山田駅」でレンタサイクルを返却して「伊勢市駅」まで歩き、コンビニで補充した飲食料(まだ食べる? 時間的に食べられるときがあまりないので)を消化しつつ、電車を待つ。めざすは「瀧原宮」。
一日の密度が非常に濃いけれども、私の待っている電車は14時52分発の「JR参宮線」ただ鉄道ダイヤの不都合は次の話にします。
月讀・倭姫編はこれで終了。続いて瀧原編です。長くて執筆が疲れてます。