「奥州伊達郡をゆく〜阿武急沿線の宮詣で〜 その2・保原」
<平成17年9月参拝・9月記載>
その1・霊山 「伊達郡を想う「信夫山」「阿武隈急行」「掛田駅」「霊山神社」
その2・保原 「保原町」「保原ノ天照神明宮」「保原ノ厳島神社」
その3・高子 「奥州伊達氏発祥の地」「高子ノ亀岡八幡神社」
その4・梁川 「梁川」「伊達政宗・持宗の乱」「伊達天文大乱」「梁川ノ亀岡八幡神社」「梁川天神社」
その5・飯坂 「福島交通飯坂線」「飯坂ノ八幡神社」
「保原町」
タクシーで「保原町役場まで」と頼んだら、見事に知らない建物の前に運ばれた。
「・・・ここはどこですか? あっ、ここではなくて、体育館の近くにあった保原町役場・・・」「あぁ、昔の町役場ね」ということで昔の町役場に10時25分に到着。2840円也。
伊達郡5町は合併して平成18年から「伊達市」となる。その保原役場は新庁舎の市役所となるべく最新の建物となっていたのだ。私の知らないうちに。
ちょっと寂しいような複雜な心境になりながらも、私は保原の大地に改めて立つ。朝の内は、保原駅から即移動してしまったので感慨がいまいちだったのだ。
ここまでくれば、私の祖父母の家も徒歩一分。いろいろと懐かしい空気に包まれてくる。
懐かしい場所。いろいろと複雑な事情があるなかで、今は無人の祖父母家を外から拝見して、元役場裏で朽ちるだけの福島交通軌道線車両を見物して、そのまま歩めば神社がある。
「保原ノ天照神明宮」
(福島県伊達郡保原町字宮下鎮座)
創建年代は不詳。保原町を代表する神社。かつては近郷近在の三十七ヵ村の郷社であったという。
春秋の例祭には近隣から多くの参拝者が訪れ、山車が有名。
保原駅からは600メートル北に鎮座。すぐ隣の敷地は保原町体育館。社殿は南面している。
おぼろげながらの子供心。祖父母の近くに神社があったかな、とおもって記憶を頼りに歩けばそこには「保原ノ薬師堂」があった。薬師堂は400メートルほど東の地。ちょっとだけ慌てた私は、改めて歩き直して「神明宮」に到着。子供の時の記憶はあいまいなもので、さらには神社も仏閣も格別に区別をしていなかったようだ。もっともそれも自然体であり、多くの人は神社と寺院の「区分」を必要としないのかもしれない。少なくとも昔の私も区分をしていなかったようだ。今は偏屈ではあるが。
「保原ノ厳島神社」(村社)
(福島県伊達郡保原町字弥生町鎮座)
祭神
田岐理姫・市杵島姫命佐依姫・田岐津姫
創建年代は不詳。もともとは野崎観音の境内にまつられていたが、明治二十六年八月十日、村社厳島神社として現在の神域に遷座。中村郷の守護神となり通称は弁天様。
毎年行われる「つつこ引き祭」は弁天様の祭礼神事で、近郷近在から選ばれた厄年に当たる若衆が「つつこ」を引き合う天下の奇祭として著名。昭和三十一年には県下十大祭に選定。
保原駅から500メートル北東の地に鎮座。いまは静かな住宅街の中に鎮座。開放感があふれる気配。
福島県下でも有名な「つつこ引き祭」の神社。重さ約800キロもの「大つつこ」を引き合う約300年の歴史を誇る伝統的な農民祭。
「つつこ」とは『モミを入れたワラツト(ワラの包)』。奥州を代表する「都都古別神社」も「つつこ」。東北では「つつこ」をわけたり、ひっぱたりと、収穫に関する祭事が豊富である。
厳島ではあるが、「ツツコ」の神社。イメージ的にはそう感じる。普段は静寂な神社が熱気に包まれている様子を想い描きながら、私は淡々と「保原」の街をあるく。次にあるくのは、幾年先になることやら。
保原駅。東北100選の駅。阿武隈急行の有人駅。いつも田舎に帰る時に利用する駅が、やっぱり私は一番懐かしい。
11時24分に保原を発車。おなじ保原町の「高子駅」を目指し、11時28分に到着。ホームだけの高架駅。駅から遠望すれば「高子ノ八幡様」が鎮座する山がみえる。
私ははじめて「伊達の発祥地」に訪れる。神社に関心を抱くまで、その存在すら知らなかったのだ。
高子の地が「伊達」に関係するとは。
参考文献
案内看板、由緒書き等。
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名大辞典