「内房上総の古社巡り」
<平成7年4月参拝>

春。鉄道趣味をかねて「JR久留里線」に乗ってくる。用事がすめば、さあどうしよう。
内房線沿線の式内社を思いだして、ではいってみようかな、と判断。
唐突なおもいつきゆえに、事前準備は一切なし。
あわてて、携帯するノートパソコンを叩いて情報収集と所在を確認。ハイテクを駆使して、古風な神社を詣でるというおかしさが漂う。

目次
その1<袖ヶ浦>「飽富神社」「率土神社

その2<姉ヶ崎>「姉崎神社」「嶋穴神社」



「飽富神社」(県社・式内社・飫富神社・あきとみ神社・あくとみ神社・おふのみや)
<千葉県袖ヶ浦市飯富鎮座>

祭神
倉稲魂命・大己貴命・小彦名命

飽富神社は、半島のように伸びている丘陵の南側台地上に鎮座。小櫃川沿岸に広がる広大な沼沢地を開墾し、開発氏神として崇敬されたのであろう。境内地付近には円墳も確認されており、古くからの開拓を偲ばせる。

当社は開発の神として倉稲魂命を祀っている。
しかし飫富氏族の祖神である神八井耳命をもともとは祭神とするであろうとされ、大和国十市郡飫富郷に神八井耳命を祖神とする飫富一族の本貫地があり、飫富氏系の長狭国造家系が祖神をまつったとも推測される。

創立は第二代綏靖天皇元年に、綏靖天皇の兄である神八井耳命がまつったことにはじまるとされており、やはり飫富氏氏神の意味合いが強い。
延喜式では上総国の式内社。
明治六年郷社。その後、県社昇格。
現在の社殿は元禄4年(1691)に再建。

鎮座地の地名は「飯富(イイトミ)」という。古来は「飫富(オホ)」と呼称されており、いつしか「飫」が「飯」と誤って伝承されたものとされる。神社の名称は「飽富」であり、飫富が飯富、そして飽富となり、さらに飯富に復帰と誤って呼称されたようである。

飽富神社
正面
飽富神社
境内参道
飽富神社
拝殿
飽富神社
彫刻
飽富神社
社殿
飽富神社
境内地付近からの遠望(南方 木更津方面)

袖ヶ浦駅に到着した私。バス停をみて、途方に暮れる。どうやらバスは1〜2時間に一本。で、間が悪いことにバスは全く来ない時間帯。
目的の「飽富神社」は東に約四キロ離れている。
しょうがないからタクシーに乗り込んで「飽富神社」へ、と運んで頂く。あっという間にタクシーは進んで約1500円。駅からの道はわかりやすい一本道。「神社の下でいいかい?」との問いかけに構いません、と返答。もっとも下も上もわからないのだが。
とにかく、目の前にある丘の上にあるらしい。途中の飯富寺を経由すれば、丘の上に集落があつまっており、その奧まった所に神社が鎮座していた。

神社は綺麗にまとまっている。拝殿脇には桜もさいている。そして振り向けば、水田地帯が広がる。「なるほど、良い土地だ」などと感じ入る私がいる。拝殿の彫刻も美しい。社殿脇の摂末社もよく整っている。飽きない神社。



もっとも、帰りのバスも来ないのは承知している。飽富神社から駅に向かって歩く。片道四キロぐらいなら歩いても良い。さすがに往復八キロを歩く元気はないが。飽富から三キロほど西にあるくと、なにやら鳥居が見えてくる。社殿はみえない。石段が延々と伸びている。
ちょっと迷う。でも石段を昇りたくなった私は「率土神社」とある石段をのぼりはじめる。



「率土神社」(そっと神社・旧指定村社)
<千葉県袖ヶ浦市神納鎮座>

祭神 埴安姫尊(ハニヤス姫尊)

創建は天平三年(730)とされている。
ハニヤス姫は天竺(インド)摩伽陀国磐古帝の后であったが、磐古帝の悪政によって国が乱れ、人民に国を追われて七人の王子と家臣大朝臣清麻呂とともに養老二年(718)に日本に漂着。
元正天皇のよって迎えられ、東国開発のために下向。天豊媛命と名を賜り、上総国望陀郡飫富の里に赴く。
神納の地に社殿をたてて住んだハニヤス姫は天平二年に六十三歳で没した。聖武天皇は大明神埴安尊と尊号を下され、神社として崇敬されてきた。
本殿は延宝六年(1679)の修復という。
<境内の案内看板・参考>

率土神社
石段下の正面鳥居
率土神社
石段上から南方。下に袖ヶ浦高校
率土神社
石段上の鳥居。社殿はこの先。右手に古墳。
率土神社
社殿前鳥居。
率土神社
拝殿
率土神社
本殿

予想以上の石段。振り向くと、ちょっと怖い。風も強くて、なんか御免なさいな気分。
参道も長い。200メートル弱だろうか、脇に古墳のある参道をすすめば質素の拝殿と赤い本殿。石段と参道と社殿の取り合わせが、どことなく愉快で心地よい神社であった。
由緒をみると、ちょっと驚き。言葉は悪いが、こんな田舎に、国際的な話題がミスマッチで、それもまた愉快。どこまでが本当の話かはわからないし、そもそも問題でもないが、なにかと興味深い雰囲気にワクワクしてくる。

袖ヶ浦駅までは約一キロの距離。のんびりと歩いて駅まで赴く。バスに乗れなかったゆえの楽しみがそこにはあった。
さて次は姉ヶ崎に赴こうかと思う。


参考文献
境内案内看板・由緒書
角川日本地名大辞典・茨城県
神社辞典 東京堂出版
式内社調査報告 第十一巻 東海道6 皇學館大學出版部
房総の古社 菱沼勇・梅田義彦著 有峰書店




前に戻る


その2<姉崎>」