「大和の風神水神」
<平成16年8月参拝>
「久度神社」「龍田大社」「広瀬大社」
この日の午前中は「大和神社」から「石上神宮」へ至る道を歩いていた。ほどよいペース配分ではあれど、身体はかなりお疲れ気味。それでも、午後の時間があまっているので、せっかくだからと足をのばして12時過ぎに「JR王子駅」に到着。
「久度神社」(式内社・村社)
<奈良県北葛城郡王子町久度鎮座>
祭神
久度大神(かまどの神・火の元の神)
八幡神・住吉神・春日神
由緒
延喜式内社。創建年代は明かではない。
平安遷都に際して久度の神を皇居近くに祀った神社が京都平野神社。第二座に久度神をまつっている。
いつしか当社は八幡大神をまつる神社となっていたが、昭和43年に平野神社から久度神をお迎えし、昭和44年に社殿造営。基の御座に久度神をお祀りした。
また久度神を「かまど神」とする他に、土師祖神の野見宿禰とする説や、物部氏族の久努・久奴氏の祖神とする説もある。
久度神社 |
参道 |
正面 |
拝殿 |
大和川堤防から本殿の屋根がみえる。 社地のうしろはかなり窮屈でもあった。 |
12時30分。
JR王寺駅から500メートルほど歩いた大和川堤防沿いに鎮座。社地のすぐ後を大和川がながれているが、鎮座地は往時のままであるという。微妙に迷った私はなぜか堤防側から神社にはいる羽目になる。大和川の対岸には信貴山が遠望でき、信貴山の段々と連なる窮屈さと、川沿いの清清しい展望を堪能する。
神社はまったくの静寂であり、八幡様らしさ、春日様らしさを漂わせていた。
久度神社から龍田大社に行くのはあまり効率が良くない。一番良いのは「JR三郷<さんごう>駅」から歩くのが良いのだが、私はJR王寺駅のコインロッカーに荷物を詰めている。大和川を挟んだ対岸ゆえにそのまま歩くことにする。
歩いている間に、みるみる雲行きが怪しくなる。どうやら間違いなく雨が降りそうな予感。
さすがにこれから訪れようとしている「龍田神」は風を巻き起こしていた。
「龍田大社」(式内名神大社・二十二社の一つ・官幣大社)
<奈良県生駒郡三郷町立野南鎮座・朱印>
主祭神
天御柱命・アメノミハシラ命(志那都比古神・シナツヒコ神)
国御柱命・クニノミハシラ命(志那津比売神・シナツヒメ神)
風を司る神。司風神。龍田風神
由緒
崇神天皇のときに凶作・疫病が続き、天皇が悩んでいた際に、当社の神があらわれてお告げにより創始すると疫病は去り豊作になったという。
天武天皇4年(675)に美濃王・佐伯連広足を遣わして風神を龍田の立野に祀らせている。
天武期以降、朝廷の崇敬が篤く広瀬社とともに風水の害なきように祈る祈願社となる。
延喜式では名神大社列格。「龍田坐天御柱国御柱神社二座」
白河天皇の永保元年(1081)には朝廷奉幣の二十二社にも列格する。
明治社格では官幣大社列格。現在は神社本庁別表神社。
龍田大社正面 |
拝殿 |
拝殿から。 奧正面が祝詞殿。その奧に本殿がある。 左が摂社。龍田比古命・龍田比売命をまつる 右が末社上中下三座。 |
左写真同等をさらに左手から。 鳥居の奧に摂末社あり。右手が拝殿。 拝殿>鳥居>摂末社>祝詞殿>本殿という配列 |
左は現在の神楽殿。 かつては拝殿として使用されていた。 |
久度神社から大和川をわたって、ゆるやかなる斜面を疲れ切りながらのぼるとそこに龍田大社が鎮座している。距離にして1.5キロほどの道のりではあれど、私はだいぶ疲れているようでペースも足どりも重い。
時間は13時。いつの間にか風が吹き始めるのも「龍田神」。雲行きも怪しくなり、このあと「広瀬神」に向かう予定の私は、見事に神々の祝事をうけているようでもある。
歴史的神社的イメージとはうらはらに神社は落ち着いていた。人の気配も少なく、地元の人が時折参拝に来るぐらい。参拝をして朱印を頂いて、そしてぼーっとしてといういつもながらの神社参拝をおこなうだけ。
一度、王寺駅に戻ってコインロッカーの荷物を回収して、一度通過した「JR関西本線」の法隆寺駅に赴く。広瀬神社に行く手段は考えていないが、しょうがないのでタクシーでも使おうかなという気分でいると駅前にレンタサイクルがあった。
14時前。
せっかくなのでレンタサイクルをする。どうやらレンタサイクルをする人は法隆寺にいかなくてはいけないらしい。「法隆寺の道は分りますか」と訊ねられ、私は「いやいや、広瀬大社に行こうと思っていますので」と返答。かなり驚くレンタサイクルの人。私の行動はそんなに珍しいのかはわからない。
もういけない。雨が降ってきた。さすがに水神たる広瀬神。傘を広げて、乗り慣れないレンタサイクルを漕いで大和川を渡って、ひたすらに二キロの道のりを駆ける。
「廣瀬大社」<式内名神大社・二十二社の一つ・官幣大社・広瀬大社・広瀬神社>
(奈良県北葛城郡河合町川合・朱印)
主祭神:
若宇加能売命(ワカウカノメ命)
=豊宇気比売大神(伊勢外宮神)・宇加之御魂神(稲荷神)廣瀬大忌神
相殿神:
櫛玉命(クシタマ命)
穂雷命(ホノイカヅチ命)
由緒
崇神天皇九年、広瀬の川合の里長に神託があり、一夜で沼地が陸地となり橘が多数生えたことが崇神天皇に伝わり、この地に社殿が建立されたことに始まる。
天武天皇四年(675)に間人連大蓋を遣わし曽根連韓犬を斎主として大忌神を広瀬の川曲にまつったという。
常に龍田風神と対となって祀られ、崇敬されてきた神社。
延喜式では名神大社列格。
平安期にには朝廷奉幣の二十二社にも列格する。
明治社格では官幣大社。現在は神社本庁別表神社。
正面参道 |
広瀬大社 |
拝殿 |
本殿 |
広瀬大社付近の大和川 |
14時15分。参道到着。
広瀬大社は、水路の要所に鎮座している。
大和川に沿い、そして高田川・葛城川・曽我川・飛鳥川・寺川・初瀬川・佐保川・富雄川がそれぞれに合流する、まさに大和平野を流れる全ての河川が一点に集まる地に祀られている。
そんな水神たる広瀬大社。雨に降られ、水が滴る境内。広瀬大社には雨がよく似合う。普通なら雨を嫌う旅行であれど、大和参拝紀行の最後たる広瀬大社で雨に降られるのは、本望でもある。
逆に清清しい気持ちで、参拝し、そして朱印を頂く。
せっかく自転車があるのだから、このまま付近の式内社巡りをしても良いのだが、私はすでに満足していた。そもそも完全な本降りの雨で、この先の行動の融通は利かないだろう。
素直に自転車を返しに行く。
15時ちょうど。レンタサイクルを返しに行くと「はやかったね。もう良いの」の聞かれる。「今日は広瀬大社にいきたかったので、もう大丈夫です。広瀬さんにいって雨が降ってきたので満足してます。法隆寺はまた次の機会にしますので」、と返す私。法隆寺よりも広瀬大社を優先する私の心持ちはきっと理解してもらえないだろうと思いつつ。
17時すぎ
京都駅に戻って、軽く食事をして、それでいて駅弁を購入して、なにやら腹一杯に食事をする。あとは東京に戻るという用事が残るだけ。
参考文献
境内案内看板・由緒書
神社辞典(東京堂出版)
角川日本地名大辞典29・奈良県