「讃岐高松・金刀比羅詣で その1」
<平成16年12月参拝>

目次
その1・田村神社

その2・金刀比羅宮



いつもいつものことながら、唐突に旅立ちたくなる私は、例の如く二ヶ月前に航空券を確保して四国に赴く。出発直前まで行く場所を考えていたが、鉄道の接続がかんばしくなく、行きたいところ一点集中させることを決意。すなわち高松に行くのであれば、琴平にいかざるをえない。
琴平に行くことを考えると時間配分が難しく、結局は琴電沿線の「田村神社」と終着の「金刀比羅宮」しかいけないことが確定。なぜなら、これまたいつものことながら、その日の最終で東京に帰るから。それもなぜか行きは高松空港なのだが、帰りは徳島空港であった。どうしてこういう選択肢になったかもすでに不明であるが、いずれにせよ徳島に出るという無駄足をしないといけない。
おそらくは高松から徳島に行くことが簡単だろうと、なにも調べずにきっとチケットを確保したのだろう。

朝。羽田空港が新しくなったらしい。ただ、JAL利用の私は新ターミナルを活用することもなく、いつもどおりに搭乗手続きして、座席におさまって、睡眠不足を解消して・・・という流れ。いつもいつも寝ているので、機内ドリンクはだいたい飲み損ねている・・・。もっともああいった飲まされ方も好きではないが。


高松築港駅・・・自販機が電車顔していますね

築港駅ホームから

琴平一宮駅付近

琴電一宮駅から

琴電琴平駅付近

琴電琴平駅高燈籠

琴電瓦町
琴電いろいろ

8時20分に高松空港に到着し、8時25分にバスに乗り込み、琴電高松築港駅に到着したのが9時5分。9時15分に琴電に乗り込めば琴電一宮駅到着が9時36分。このあたりは頗る接続がよい。結構遠くまで来たような気もするが、実は高松市内。そんな意外性も新鮮であった。

琴電一宮駅から9時40分社頭前到着。駅前から線路に沿って東に300メートル歩めば、参道が直角にみえてくる。その参道をまっすぐに500メートルほど北上すれば社殿につきあたる。


田村神社」(讃岐国一之宮・延喜式内名神大社・国幣中社)
<香川県高松市一宮町鎮座・朱印

祭神
倭迹迹日百襲姫命<ヤマトトトヒモモソ姫命>
五十狭芹彦命<イサセリ彦命=吉備津彦命>

猿田彦大神・天隠山命(=高倉下命)・天五田根命(=天村雲命)

由緒
元明天皇の和銅二年(709)に創建とされる。社殿建立以前は「御神座」直下の「底なしの淵」といわれる「定水井」に浮筏をもってお供えし祭祀が行われてきたという。当社奧殿の床下には今も深淵があり、厚板を以て覆われている。境内西端に「花泉」、境内東端に「袂井」と呼ばれる湧き水もあり、当社を深淵にちなみ「定水大明神」とも呼称。

延喜式内の名神大社。讃岐国一之宮。明治社格では国幣中社。

讃岐領主たる細川氏をはじめ、江戸期の生駒氏松平氏などの藩主が代々崇敬。明暦元年(1655)藩主松平頼重が社殿を修造し、延宝7年(1679)にはやくも隣接する別当寺一宮寺(四国83番札所)を神仏分離をし、唯一神道として崇敬されてきた。

奧殿及び本殿は宝永7年(1679)の造営。拝殿幣殿は明治10年再建。


正面鳥居

参道

参道

境内
本殿後方の御神木
御神木に大鳥居が隠れている

拝殿

拝殿

田村神社本殿及び奧殿

境内を歩み神門をぬければ、サラサラサラとほうきをはく音が境内にゆらめく。御苦労様です、とそんな巫女さんたちに会釈しつつ、まっすぐ歩けば社殿がみえる。
結構な規模であり、本殿社殿と摂末社群が並立し、初見の私はちょっととまどう。
「田村神社」社殿の向かって右となりに「宇都伎神社」が鎮座し、さらに右隣に「素婆倶羅神社」が鎮座している。規模の大きい3社が並立している姿は、圧巻でもある。参道正面は「田村神社」であれど、三社の中央に位置しているのが「宇都伎神社」。知らないと真ん中がメインに感じてしまうかも知れない。

拜殿前は水が打たれており、清々しさを感じる。静かに拝し丁寧に拝して、札所にて御朱印を頂戴する。なかなか心意気の良い神社であり、御朱印と手ぬぐいと御守りをつけてくれる。

ゆっくりと参拝し、参道を掃除し続ける巫女さんに会釈して、来た道を戻る。
10時23分。琴電琴平行きの電車に乗り込んで、ほどよく空いているようで、琴電としてみると混んでいるかのような車内で腰を沈めてうつらうつらする。

11時4分。琴電琴平到着。目の前に広がる琴平山・象頭山を気にしつつ、金比羅さんへ向かう。


参考文献
境内案内看板・由緒書
神社辞典(東京堂出版)
角川地名大辞典



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