「大原野詣で・その2」
<平成7年3月参拝・5月執筆>


目次
その1「大原野神社」「向日神社」

その2「長岡天満宮」「水無瀬神宮


向日神社を参拝終了し、阪急「西向日駅」にいた私。このあたりで神社となると思い浮かぶのが「長岡天神」。駅の名前にもなっているので、一駅隣まで赴こうかと思う。
阪急「長岡天神駅」。駅から500メートルほど西に行ったところに長岡天神が鎮座している。



「長岡天満宮」(府社)
<京都府長岡京市天神鎮座・朱印

祭神
菅原道真公

もともとは空海が乙訓寺別当であった頃の長岡精舍跡であったという。
菅原道真公が太宰府に左遷された際に、馴染みのあったこの地に立ちより名残を惜しまれて、公自作の木像を祀ったことに始まるとされる。
一説には菅原道真公が太宰府に左遷された際に、長岡精舍の坊官中小路宗則、東小路祐房らが、摂津まで見送り、道真公から贈られた自筆画像を精舍の地に祀ったことにはじまるともいう。
寛永15年(1638)に八条宮智仁親王によって八条が池が造営。
現在の本殿は昭和16年に平安神宮本殿を移築したもの。
明治社格では府社列格。

長岡天神
長岡天神 正面n
長岡天神
八条が池
長岡天神
参道
長岡天神
拝殿正面
長岡天神
拝殿
長岡天神
拝殿
長岡天神
本殿
長岡天神
長岡天神の梅

長岡天神駅から500メートル西に鎮座。正面の大鳥居をぬければ、両脇に水面が広がる。市民の憩いの空間として、四季ごとに彩りを提供している。
今は梅の季節。計画性はないけれども、たまたま梅の季節に天満宮に来たのだから、これ以上の巡り合わせはない。

雨模様の天気。それでも晴れ間が覗く。今日は天候不安定。とにかく晴れ間のウチに行動したい。気は急くけれども、梅園などを見物して、天満宮らしさを味わう。

このあとの予定。例の如く、地図を見れば隣駅が「大山崎」で、その隣が「水無瀬」。水無瀬と聞けば、そこの神宮がある。私の行動も、今日は淀川沿線となりそうだ。


水無瀬神宮(官幣大社・国重文建築有)
<大阪府三島郡島本町広瀬鎮座・朱印

祭神
第82代 後鳥羽天皇
第83代 土御門天皇(後鳥羽天皇第一皇子)
第84代 順徳天皇(後鳥羽天皇第三皇子)

当地は、もともと後鳥羽上皇が造営された水無瀬離宮の地。東に淀川と男山。北西に山崎の山並みをひかえる景勝地。

鎌倉幕府倒幕の兵を挙げられた後鳥羽上皇は承久3年(1221)に関東の軍勢に敗れ、後鳥羽上皇は隠岐、土御門上皇は土佐(のちに阿波)、順徳上皇は佐渡に遷後。三上皇共に遠隔地で崩御なされた。

後鳥羽上皇は崩御の14日前に水無瀬離宮を管理していた宰相中将水無瀬信成、親成父子に御置文を下し賜り、御生を弔うように仰せになられた。後鳥羽上皇崩御ののちに上皇の御影(隠岐出立直前に藤原信実を召して描かれた座像・国宝)を拝領し、離宮の地に「水無瀬御影堂」として、その菩提を弔ったことにはじまる。
室町中期に後土御門天皇から「水無瀬宮」の神号を賜るも、法華堂として明治維新まで仏式に営まれてきた。

正式に神道式になったのは明治6年(1873)に神社として「官幣中社」に列格して以降。このときに阿波より土御門上皇、佐渡より順徳上皇の神霊を合祀。昭和14年に官幣大社に昇格。

本殿は寛永年間(1624−44)に京都御所内侍所を拝領したもの。
客殿は慶長五年(1600)に福島正則によって造営、豊太閤が献納された桃山末期の建築。国重要文化財。
また境内奧にある燈心席は後水尾上皇遺愛の茶室。国重要文化財指定。
拝殿は昭和4年改築。
神門には石川五右衛門の手形が残されている。水無瀬の神宝太刀を盜もうと忍んでいたが、神威にうたれ足一歩も門内に踏み入れることが出来ずに、石川五右衛門は手形を残して立ち去ったという逸話がある。

水無瀬神宮
水無瀬神宮
水無瀬神宮
神門
水無瀬神宮
名水百選「離宮の水」
水無瀬神宮
離宮の水。雨が降る。濡れる水無瀬神宮。
水無瀬神宮
客殿(国重文)
水無瀬神宮
客殿から拝殿をのぞむ
水無瀬神宮
境内。左が客殿、右は拝殿
水無瀬神宮
水無瀬神宮拝殿

水無瀬まで来れば、もはや「大原野詣で」というくくりもどうかとは思う。そもそもここは大阪であり摂津国である。ただこの地は「山崎」に隣接しており、山崎の北側は長岡京に大原野なのだから、一連の行動としてはさほどに無縁でもないだろう。そうこじつけておく。

阪急、水無瀬駅。阪急の線路を北に辿ること約1キロ。歩いている間に、雨が降ってきた。
さすがに水無瀬神宮。水無瀬であれど、水に縁がある。雨に濡れる中で詣でる水無瀬神宮は、言霊的な水無瀬も影響して、ますますの風情をかもし出す。雨の神社も私は好きだ。
そんな雨のなかでも、人が並んでいる。最近はよくみる光景。
この水無瀬神宮には「離宮の水」という湧き水がある。名水を汲みに来る方々が列をなしている。雨の中、御苦労なことである。ただ、汲む前にせめて拝殿に赴いても良いだろうに、神社は関係なしに水を汲む人々はやってくる。雨宿りをしながら、そんな光景を眺めている私は、どうやら長居をしすぎているようだ。
もっとも、雨が強すぎて、動くに動けなかったのだが。

ようやくに弱くなった雨の中、山崎駅に赴く。距離にして約1キロ。大阪と京都の狭間でもある。
もう疲れた。
今の時間は1時30分。このあと、唐突に行きたかった神社に赴く。
河内国枚岡神社。唐突すぎて、まったく関係ない土地であれど、行きたくなったから行くのである。
きっと雨も止むだろう、と信じて河内枚岡の地に赴くが、それはまた別話。


参考文献
境内案内看板・由緒書
角川日本地名大辞典・京都府
神社辞典 東京堂出版




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