「京都の神社風景 北野・平野編」
<平成15年4月参拝・平成15年12月記>


北野天満宮」/「平野神社

梅宮大社をあとにして、バスを乗り継ぎ「北野天満宮前」で下車。時刻は10時20分。9時30分に梅宮を離れたにしては時間がかかっているが、これは単純にお腹が空いたから腹ごしらえをしただけ。
鳥居前はタクシーが縦列。写真的に面白くないが、北野天満宮という第一級な規模なので致し方がない。素直に真っ直ぐ歩みを進める。


「北野天満宮」 (官幣中社)
<京都府京都市上京区馬喰町鎮座・朱印

祭神:
菅原道真公
相殿:
中将殿(菅公の御子息)
吉祥女(菅公の北の方)

北野天満宮は菅原道真公をお祭りした神社の宗祀である。創建は平安中期に多冶比文子によって菅原道真公の御霊をお祀りしたのが始まりという。
延喜元年(900)に藤原時平の讒言によって太宰府に左遷され、延喜3年(903)に菅原道真が太宰府で没したのち、京都にて雷電天災が発生。これを道真の祟りとする風評が巻き起こり、藤原時平や一族のなかで不慮の事故が多発。さらには天皇周辺にも厄災がおきたため、朝廷は道真に正一位、太政大臣を追贈。
天慶五年(942)右京七条にすむ多冶比文子に託宣があり、文子が邸内に霊を祀った。その後、天歴元年(947)に近江国比良社の神主であった良種の子である太郎丸にも託宣があり、文子・良種、そして朝日寺の僧最鎮らが中心となって現在地に社殿を建立したことにはじまる。

太宰府天満宮とともに菅公を祀った神社の双璧。二十二社制では第二十位。朝廷や藤原摂関家の守護神、平安京内の守護神として崇敬された。
明治四年、官幣中社列格。

現在の社殿は慶長12(1607)年に豊臣秀頼が造営したものであり、社殿・中門(三光門)・東門・神楽殿・校倉などが現存している。本殿は国宝指定。透塀・中門・東門・平唐門は重文指定。

北野天満宮
参道
北野天満宮
楼門
北野天満宮
三光門(重文)
北野天満宮
三光門(重文)
北野天満宮
社殿(国宝)
北野天満宮
本殿(国宝)
北野天満宮
摂社・地主神社
天満宮創建以前の地主神。豊臣秀頼造営。
天満宮第一の摂社。
北野天満宮
末社・文子天満宮
天満宮発祥の社。
明治六年に現在地に遷座。

参道は石灯籠が連なる。松の木が連なる。明るい参道。参道脇には梅林が広がる。開放的な境内。空は薄曇りだけれども、暗さがない。
予想通りに参詣者が多い。しかし境内が広いためか、さして気になるものではない。参道を真っ直ぐ歩むと楼門。その先から中心軸がずれ、斜左の方向に三光門(中門)がある。社殿のまわりには、こぎみよく摂社末社が並んでいる。いずれもよく整備されており「さすがだな」と思わせる気配。
三光門の独特の造りに見惚れる。そしてその奧の社殿は私の予想よりも大きかった。どっしりとした拝殿は、まさに拝すべき環境であった。萎み始め散り始め、そんな梅の木々達を愛でながら北野天満宮を散策する。

朱印を頂戴し、境内を一巡し、裏門から平野神社を目指す。これも不思議なもので、歩いて200メートルほど西の方向に平野神社が鎮座している。


「平野神社」(・延喜式内名神大社・官幣大社)
<京都市鎮座・朱印

祭神
第一殿:今木大神(桓武天皇の皇母高野皇太后<天高知日之子姫尊>の遠祖である百済聖明王のことともいう)
第二殿:久度大神(上神の祖である仇首王のことともいう)
第三殿:古開大神(沸流王・肖古王のことともいう)
第四殿:比賣神

由緒
宮中に関わる竃神・鎮魂神として宮廷にて崇敬。平安遷都に伴い、平城京田村後宮に奉られていた今木大神・久度大神・古開大神が、桓武天皇によって現在地に奉遷。桓武天皇の外戚神であり、一説に半島渡来系の神々とも言う。

平野神社の祭祀には皇太子が自ら参列する規定が弘仁式に記載され、朝廷内でも特別な地位を占める神社であった。「二十二社の制」では伊勢・石清水・賀茂。松尾に次いで第五位。朝廷、そして皇太子守護神として篤く崇敬されてきた。
源氏・平氏の崇敬も篤かった。特に今木神は源氏、久度神古開神は平氏が氏神として信奉していた。その後、戦国期に荒廃。江戸期に西洞院時慶の尽力によって現在の社殿が再建。
明治四年に官幣大社列格。

社殿は春日造りを二殿連結した「平野造」(比翼春日造)とよばれ、国の重要文化財指定。第一第二殿が寛永三年(1626)再興、第三第四殿が寛永九年に再興。
境内には五十種類五百本の桜の木々が植えられており、桜の名所として知られている。

平野神社
参道
平野神社
神門
平野神社
神楽殿
平野神社
境内風景
平野神社
社殿
平野神社
舞殿から社殿を垣間みる

平野神社。おばちゃんたちの桜の見物で非常に賑わっていた。それでも低俗な屋台が出店するとかいうものではなく、しずかに桜をめでる環境。境内は賑やかに彩られていたが、殿までは粛々としていた。さすがに神社としての風格と威厳が満ち足りている気配。
二十二社の第五位ではあれど、神社規模的には、さきほどの北野天満には及ばない。札所もこじんまりと巫女さんと神職さんのふたりがいるだけ。朱印を貰い、桜をめで、社殿にみとれる。
かなり気に入ってしまった環境。

一度、平野神社から北野天満宮まで戻り、再び「北野天満宮前」のバス停に戻ってくる。
11時15分。
さて次はどうしよう。地図に目をやると、バス停5つ先の東に「白峯神宮」がある。詳しくはしらないが官幣大社。大通りの十字路でもあるし選択肢が広がるだろう。さしあたって「堀河今出川」バス停の白峯神宮に行ってみることにする。


参考文献
神社由緒看板及び御由緒書
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名辞典・京都府


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