「上州の神社を東西に・3」
<平成7年4月参拝>
目次
その1「一之宮貫前神社」「山名八幡宮」
その2「上野総社神社」「高山神社」
その3「世良田東照宮」「世良田ノ八坂神社」
上野総社から世良田に向かう。
両毛線で伊勢崎駅。そこから東武線に乗り換え。東武伊勢崎線も末端部にくれば、ローカル路線。運良く一時間に一本の接続にタイミング良くのりあわせる。
東武線世良田駅。ローカル風情あふれる無人駅から歩くこと南に約1.5キロで世良田東照宮に到着する。
時間は15時だった。
「世良田東照宮」(郷社・国重文社殿)
<群馬県太田市世良田鎮座・朱印>
御祭神:徳川家康公
江戸幕府徳川氏の祖先である世良田徳川氏の発祥地。
寛永21年(1644)に三代将軍家光の命によって天海僧正が徳川氏遠祖である義季の墓がある長楽寺境内に日光東照宮の古殿を移して創建。
日光東照宮は寛永13年に現存の様式で竣工。日光山輪王寺住職であった天海僧正は、徳川氏ゆかりの長楽寺住職にも補任されており、寛永21年に長楽寺境内に東照宮を勧請。
旧日光東照宮を移築したという一間社流造本殿・単層入母屋造拝殿(元和三年・1617 日光東照宮から移築)・四脚平唐門は国重要文化財指定。
また大鉄燈籠(元和四年・1618)も国重要文化財指定。
神仏分離によって明治8年に長楽寺から分離。明治12年に郷社列格。
世良田東照宮 |
正面 |
左に大鉄燈籠<国重文>。右に神水井戸 |
拝殿と本殿の間・石灯籠は忍城主阿部忠秋奉納(1645) |
拝殿<国重文>家光が改修する前の旧日光東照宮拝殿を移築 |
鷹は家康の象徴。拝殿彫刻 |
拝殿 |
拝殿後方 |
唐門<国重文> |
本殿<国重文> |
本殿 |
本殿彫刻 |
左甚五郎:巣籠もりの鷹 |
本殿彫刻 |
15時すぎに神社に到着。付近は歴史文化にあるれる情緒満載で、かなり私の心をくすぐってくれる。
社務所で朱印を頂戴して、参観を希望する。世良田東照宮は拝殿・本殿を間近で拝することが出来るのだ。朱印を頂く際に雑談。「わざわざ埼玉から来たの?ご御苦労さまです」といわれても、私の行動範囲からすれば「群馬」はそんなに遠くはない。さらに「貫前からこちらに来ました」というと、「それは遠いところから」と呆れるのか驚くのか、という反応。さすがに貫前から世良田に行く人間もそうそういないだろう。
もともと日光東照宮を移築したとされる世良田東照宮。歴史ファン家康ファンには著名な世良田。格別にすきなわけではない徳川氏であれど、なにかと東照宮をめぐるのが好きな私。神社建築としても見応えが多いから。
そんな東照宮は私を魅了する。全国区ではさほどに著名でもないが、歴史息吹に溢れている神社気配。この独特の長閑なる気配に満足し、長居をする。また来たくなるような気に溢れていた。
神社境内と寺院境内が密接している。歴史をたどればもともとが世良田の長楽寺なのだから、寺院にも足を伸ばす。
普段の私はサイトの性格上もあるが格別に寺院には触れない。しかし歴史息吹に魅了されれば、そこは別なのだ。
「長楽寺」
天台宗。世良田山真言院長楽寺。開山は栄西の法嗣栄朝。開基は徳川(得河)義季。徳川義季は新田氏の祖である新田義重の第四子。(ちなみに第三子が山名氏祖の山名義範・山名八幡宮)
義季は新田郡得河郷を領有し、得河氏を称した。
新田氏末裔の徳川家康が新田系得河氏を先祖とし、新田得河氏氏寺の当寺を保護。新田氏は代々を真言宗としていたが天海僧正が住職となった際に天台宗となった。
境内の宝塔は国重文指定。
太鼓門<県重文> |
長楽寺 |
新田家累代墓 |
宝塔<国重文>鎌倉期(建治二年・1276) 徳川義季をはじめとする累代の墓所。古墳上にある。 |
鬱蒼とした静かな境内。世良田徳川の息吹を感じ、散策する。とても贅沢な時間をすごしているような感触。
世良田という言霊が歴史ファンの私の心をかなり刺激してくれていた。
世良田長楽寺から北上する。みちすがらに「八坂神社」とあるので、立ち寄ってみる。
「世良田ノ八坂神社」(郷社)
<群馬県太田市世良田鎮座>
祭神:素戔嗚尊
創建年代は不詳。新田氏代々の崇敬社。尾張国津島天王社を分霊したともされる。世良田政義の娘と南朝の尹良親王との御子が津島天王社神主となったゆえの説話。
古くは牛頭天王を祀る天王社。明治期に郷社となり八坂神社と称した。世良田祇園の夏祭が著名。
本殿は宝暦6年(1756)造営という。
正面 |
拝殿 |
本殿 |
本殿 |
世良田東照宮と世良田駅の中間地点に鎮座。なにげなく立ち寄ってみた神社。しずかな郷土の神社。
そして本殿が豪華。うれしくなってくる。予備知識もなく、フラフラとみちすがらの神社に立ち寄って、こうした発見があるのがうれしい。
「貫前」「山名八幡」「群馬総社」「世良田東照宮」と、今日一日は彫刻に見惚れるような日。
ありがたいような、充実した神社詣で日和であった。
参考文献
境内案内看板・由緒書
角川日本地名大辞典・群馬県
神社辞典 東京堂出版
他