「桜井三輪石上〜山之辺道〜探訪記・その2」
<平成16年8月参拝>

その1.「談山神社」

その2・「山之辺道〜桜井から三輪へ」
山之辺道南部」「八阪神社」「志貴御県坐神社」「大神神社南部摂末社



山之辺道南部

さて歩くか、そう呟いて桜井駅を歩き始めたのが12時45分。山之辺道を桜井から歩き始めるにしてはスタート時間が遅めだが午前中に唐突に談山神社にいきたくなったのだからいたしかたがない。
桜井駅をまっすぐに北上し、桜井サティを右折。そのまま歩けば左手に三輪山が見えてくる。駅からは大体徒歩15分の道のり。電車車内で先ほど拝見した三輪山は本日二回目。このあと何度となく三輪山の姿を拝見し、そして感動し物思いにふけることになる。
左におれ、さらに進むと初瀬川に突き当たる。初瀬川と三輪山。なかなか贅沢な光景。振り向き見える山々のなかには「多武峰」もあるだろう。いずれの峰が多武峰かは定かではないが、そんな気分を抱きながら橋を渡る。時間は13時15分。ここまで30分もかかっているが、気持ちとして歩行ペースがかなりゆったりではある。

三輪山
三輪山・南西部から
三輪山
初瀬川と三輪山

13時15分。橋を渡ったところに「仏教伝来の地」がある。百済聖明王から欽明天皇に伝えられたとされる仏教は百済使節によって難波津から大和川初瀬川をさかのぼり、この付近で上陸し欽明天皇「磯城嶋金刺宮」に向かったとされている。それゆえの仏教伝来の地。そしてこの付近は「海石榴市」とも呼ばれた地。7世紀代に大規模な市が置かれた場所であり、大和川水運の港や山の辺の道等が交じる交通の要衝でもあった。

そんな場所であらためて初瀬川をながめて、そして三輪山を拝す。まだ山之辺道の入口であるのに、この贅沢さ。もったいないばかりであった。

橋を渡ったところで迷う。べつに道に迷っているわけではない。道はわかりやすい。問題は北に素直に「大神神社」に向かうべきか、ここから右に寄り道して「玉利神社<大神神社境外社・式内社>」にいくべきか、というコースの選択肢。散々迷ったあげく「初めての山之辺道」で時間配分がわからないというのもあるので初志貫徹し「大神神社」に赴くことにする。

13時23分。海石榴市観音。賑わっていた海石榴市にある観音堂。とくに由緒由来はわからないないが、山之辺道の目標地点として立ち寄り拝す。

仏教伝来の地
仏教伝来の地
海石榴市の道
海石榴市の道

13時27分。観音堂から道を進むと右手に「八阪神社」へ、方向看板がでている。このあたりはすでに大神神社の摂末社群が点在している地域。せっかくだから立ち寄る。
末社・八阪神社は三輪山麓に鎮座。三輪山遙拝的な気配。私はゆっくりと呼吸を整える。


八阪神社<大神神社境外末社>
境内の瑞垣内には三社が並んでいる。

八阪神社
祭神:素盞鳴命(中央)
祭神は大物主神(本社御祭神)の父神。古来山林、農業の守護神、疫病災難除けの大神として信仰が厚い。

大峯社(向って右)
祭神:大山祇命
祭神は伊弉諾尊(御父神)伊弉冉尊(御母神)の御子神。水利灌漑・五穀豊穣の守護神。

賃長社(向って左)
祭神:磐長姫命
祭神は大山祇命の御子神。神名の磐長に因み古来延命長寿の守護神として御神徳が高い。

八阪神社
八阪神社正面
八阪神社
参道石段と拝殿
八阪神社 瑞垣内に

大峯社(向って右)
八阪神社(中央)
賃長社(向って左)

が並ぶ。

13時35分。三輪山の縁をなぞるかのように山之辺道は延びる。さして迷うことなく道なりに進むと「金屋の石仏」に到達。高さ2.2メートル、幅80センチの板状岩に彫られた二体の石仏は釈迦と弥勒とされる。古くは貞観時代、新しくとも鎌倉時代のものとされ、重要文化財指定。
柵の向こうに二体の石仏がある。やや暗がりでその姿は明瞭でないにせよ「さもありなん」と納得させるだけの石仏がそこに鎮座していた。わたしもさももっともそうに拝す。

13時40分。さらに道を進んで、左手に分かれると「磯城瑞籬宮跡(しきみずがきのみやあと)」に到達。現在は式内社「志貴御県座坐神社」が鎮座している。
この地は第十代崇神天皇の宮跡とされている。三輪山を背後に背負い、海石榴市に面し、さらには大和平野を見下ろす地。古代大和王権から交通の要衝とされてきた地でもある。


志貴御縣坐神社(式内大社・旧村社)
<奈良県桜井市金屋鎮座>

主祭神
大己貴神
一説に「御県の霊」(大和志料)「天津饒速日命」(神道大辞典)ともされる。

由緒は不詳。巻向川と初瀬川にはさまれた磯城(志貴)の地に鎮座。
大和六御県神社のひとつ。(残り五社は高市・葛木・十市・山辺・曽布)
天津饒速日命の孫日子湯支命の後裔とする志貴連によって奉祭されてきたとされる。
拝殿右手に磐座あり。
境内地は崇神天皇の「磯城瑞籬宮跡(しきみずがきのみやあと)」と伝承されている。

志貴御県座坐神社
志貴御県座坐神社
志貴御県座坐神社
志貴御県座坐神社・拝殿
志貴御県座坐神社
志貴御県座坐神社・本殿
志貴御県座坐神社
志貴御県座坐神社・磐座

「志貴御県坐神社」。式内社である。静かな境内で崇神天皇という天皇をしのぶわけでもないが、古代大和王権の息吹を感じつつ境内で拝す。拝殿脇に由緒書きがあるので顔を近づけてみて驚く。日頃からお世話になっているサイトの神社紹介ページがそのまま印刷してあったのですが。それでもこの紹介に勝るものはないだろう、ぐらいな勢いはあり、改めてお世話になる。

社地の西側にひときわ大きな神社建築物がある。なんだろなと地図をみるもそんなところに神社は存在していない。かわりに記載されていたのが天理教会。なるほどな、と納得して山之辺道に戻る。

三輪山
志貴御県坐神社付近からの三輪山
三輪山平等寺
三輪山平等寺

13時50分。
志貴御県坐神社から北上すると、すぐのところに「三輪山平等寺」が鎮座している。
581年に聖徳太子が賊徒平定祈願のために三輪明神に祈願して十一面観音を刻んで寺院を建立したことにはじまる、という古寺。
もっともすでに「三輪山」に気が急いている私は、軽く境内を覗き見しただけで次に進む。

気は急くと言っても「大行事社」「日向神社」「成願稲荷神社」「天皇社」「神宝神社」などの大神神社末社群を一通り寄り道。なかでも「日向神社」は式内社とされる。とはいうもののちいさな社。それでも大小は関係ない。なんだかんだといいつつも律儀に参拝していく。


大神神社境外摂末社
大行事社<大神神社末社>
祭神:事代主神・加屋奈流美神・八尋鰐

創建由緒は不詳。
御祭神は事代主神。俗に言う恵美須さん。
三輪町内にある恵比須神社の元宮。商工業市場の御守護神として篤い信仰を集め、特に三輪素麺の相場の神様として崇敬されている。

大行事社
大行事社


日向神社<大神神社摂社・延喜式内大社>
祭神:櫛御方命・飯肩巣見命・建甕槌命

創建由緒は不詳。延喜式内大社
オオタタネコ命(若宮祭神)の祖神を祀る。大物主神の末裔であったオオタタネコが崇神天皇の頃に「大物主神」を祭祀している。
大物主大神が陶津耳命の娘である活玉依毘売を娶って産んだ子が櫛御片命であり、その子が飯肩巣見命。その子が建甕槌命。その子が意富多々泥古命(オオタタネコ)となる。

日向神社
日向神社<式内社>


成願稲荷神社<大神神社末社>
祭神:保食神・宇迦御魂神(稲荷大神)・大宮売命
配祀:市杵島姫神(宗像大神・息長足姫命(神功皇后))

鎌倉末期正応三年(1290)に大神神社神宮寺の一つであった浄願寺の鎮守祠として創建。

成願稲荷社
成願稲荷社
成願稲荷社
成願稲荷社


天皇社<大神神社末社>
祭神:御真木入日子印恵命(崇神天皇)

創建由緒は不詳。
第十代崇神天皇は、磯城瑞籬宮に都を定め、我国の歴史上画期的な御治績を挙げられた。
また敬神の念が篤く皇居内に同床共殿で祀られていた天照大御神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと=前述=崇神の娘)に託し笠縫邑(桧原神社・元伊勢)に遷し祀り、日本大国魂神を淳名城入姫に託し大和神社の地に遷し祀っている。
さらには大田田根子命に大物主神(三輪神)を丁重に祀らせるなど祭祀を重視し、国内においては四道将軍を派遣し、国の礎を確立させた。

天皇社
天皇社
天皇社
天皇社


神宝神社<大神神社末社>
祭神:家都御子神・熊野夫須美神・御子速玉神

由緒由来は不詳。熊野の神を祀る社。

神宝社
神宝社
神宝社
神宝社

大神神社南部の摂末社に寄り道をして、いよいよ大神神社にむかう。山之辺道を歩いていた人間として、そのまま南側から入るのも面白くないが、大きく正面参道まで迂回するゆとりもないので、そのままワキから足を踏み入れる。

大神神社は次のページから・・・。


参考文献
境内案内看板・由緒書
神社辞典(東京堂出版)
角川日本地名大辞典29・奈良県



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