「三嶋と箱根の宮詣で・その1 三島」
<平成17年8月参拝・9月記載>


目次
その1 「三嶋大社」(伊豆一の宮)/「浅間神社」(二の宮)/「楊原神社」(三の宮)/「広瀬神社」(四の宮)/「日隅神社」(五の宮?)
     「間眠神社」/「三石神社」/「若宮神社

その2 「箱根神社」


平成13年に実は三嶋大社には詣でていた。
そのころの私は、いまから思えば無知だった。ただ一の宮という有名な神社があると知り、神社に興味を抱くようになり始めていたころゆえに、足を運んでそれだけで喜んでいた。
まったく、無知だった。
もっともいまでも無知である。それでも当時よりかは格段に知識を有している。
どうしても再訪したい神社。
そんな機会が夏場にあった。

8時30分。三島駅に到着。9時なるとにレンタサイクルが開始される。それまでしばしの休息。
レンタサイクルの手続きをして、借り受け。乗り出せば9時10分に浅間神社に到着。気分的にはそのまま走って三嶋大社まで一気に突っ走り9時15分に到着する。駅からは約700メートル南東。

「三嶋大社」(官幣大社・式内名神大社・伊豆一の宮)
<静岡県三島市大宮町鎮座・朱印

主祭神
事代主神(コトシロヌシ神)
大山祇神(オオヤマヅミ神)
 二柱の神を総称して「三嶋大明神」と称す。

三嶋大社の前を通る道は旧国道一号線、さらにもとを辿ると鎌倉以来の東海道。そして大社の鳥居からまっすぐのびる道は旧下田街道という。
当地は伊豆国国衙所在地として国府・府中とよばれていたが、のちに「三島」とよばれるようになった。

御創建の年代は明らかではないが、古くより三嶋大明神と称せられ、富士火山帯根元の神、伊豆の国魂の神、国土開発の神として信仰を集めてきた。
三島は御島の尊称に通じ、伊豆三島神社に由来する地名とされるが、三島神社には伊予大三島の大山祇神社が三宅島に遷座したという伝説があり、三宅島からさらに伊豆の白浜に遷座。白浜の伊古奈比メ命神社と同一の敷地に延喜年間頃まで鎮座していたものが、のちに国府の地に総社、あるいは六所宮として国府近くの「若宮社」の地に勧請されたものが現在の三嶋大社の起源ともされている。

武家の中でも、特に源頼朝の信仰が厚く、平家討伐の挙兵以来関東武士の尊信を受けてきた。又、東海道に面し、下田街道の起点という交通の要衝にあたり、東海道の名社として広く天下の信仰を集めるようになったという。

江戸期までの祭神はオオヤマヅミ神一柱であった。ところが国学者平田篤胤の「事代主神説」によって明治6年以降にはコトシロヌシ神が祭神となり、戦後再びオオヤマヅミ神を加えて現在の形となった。

神門は慶応3年(1846)の竣工。舞殿は慶応2年竣工。
総門は昭和6年。
現在の社殿は万延元年から明治2年(1860−69)に再建されたものという。

境内には興味深いものとして源頼朝、北条政子の「腰掛石」と呼ばれているものがある。
また、国指定天然記念物で日本一の大木であり、さらには1200年の樹齢を誇るといわれる「キンモクセイ」もある。

三島
正面は国道1号線=東海道
三島
参道両脇は神池
三島
神池
三島
総門
三島
神門
三島
舞殿・拝殿
三島
若宮社(若宮八幡)と三嶋大社社殿。
従来の伊豆二宮か?
三島
社殿
三島
腰掛け石
三島
日本一の金木犀<国指定天然記念物>
三島
芸能殿

旧総門。慶応4年完成。
戦後に一部改造して芸能殿となる

さすがに4年ぶりなので、身体がまだまだ雰囲気を覚えている。清清しい直線の参道と、両脇の神池。総門と神門と舞殿と社殿。この気配は同じものであった。月日はたっていても私の感性はそう大きくはかわっていないようで、そんなことがうれしくもある。
違うことは私の経験と知識。事前準備は好い加減だけれども、三島市内には神社が集中しているのは知っている。市内を自転車で走りまくれば、古社に到達するだろう。そんなことをぼやりと思いながら、目的のひとつである「朱印」を頂戴する。ここも、貰っていなかったから。
社殿と、その脇の「若宮社」を拝しながら、この若宮が元の二宮かどうかを考えながら迷ったりする時間も愉快であったりする。巫女さんが社務所と拝殿を往復したりもしていて、私の心を和ませてくれる。

あとは三嶋大社を中心に自転車を漕ぐだけ。
以下を順繰りに掲載。参拝順ではないので、距離はあっちにこっちに、になってしまうが御了承を。


「浅間神社」(伊豆二の宮・式内小社論社)
<三島市芝本町鎮座>

主祭神
木花開耶姫命・波布比売命

三嶋大社別宮。伊豆二の宮。神階正五位。
もともとは「伊豆三の宮」であったというが、「二宮八幡(若宮八幡)」が三嶋境内に移されてから二の宮に昇格したともいわれている。
三嶋大社に次ぐ名社として、かつては富士山登山をするものは必ず当社を詣でていたという。

境内社の芝岡社は明治社格では村社。もともとは元本陣世古六太夫家の邸内神であったのを明治四年に芝町の氏神として祀った。祭神は高産霊神。
本殿下に大きな円形の石があり、零石と称し、昔から子供の守り神として知られている。
昭和27年に浅間神社境内に移転。

三島 「式内二宮浅間神社」とある入口
三島
社殿
三島
芝岡神社(左)、浅間神社(右)

鎮座位置は三島駅から南に300M。楽寿園の東隣に鎮座。
社地入口は東側に面しており、社殿は南面。浅間神社と芝岡神社が並立している。
むかし三島社を訪れた時に、当社にも立ち寄った記憶があるが、いかんせんそのころは無知であった。そのまま素通りをしていたようで、記録がなかった。今思えば無知とは悲しいもので、こうして改めて参拝をし直しているわけでもあった。
狭い空間ながらも樹木は豊富。楽寿園の延長でもあり、そして三島という町自体が緑と水が豊富な都市。しないには幾筋かの清流があり、心を和ませてくれるのがありがたい。


「楊原神社」(伊豆三の宮・やなぎはら神社)
<三島市北田町鎮座>

祭神
大山祇神

三嶋大社の境外摂社。伊豆国三の宮。
もともと駿河国駿東郡香貫村(=沼津市楊原の地)に鎮座していたのを、国境変更に際して伊豆国楊原(=三島市御殿地)に遷座。元和九年(1623)に徳川家光上洛時の三島御殿を建築するにあたり、現在地に遷座したとされる。

当社が伊豆三の宮とされているが、大元の「楊原神社」(式内名神大社・沼津市)との立場上の関連は謎。参拝の便を図るために国府近くに祀ったものと私は推測

三島
楊原神社
三島
鳩が多い社殿

三嶋大社の南200メートル。三島市役所の南側に西面している。伊豆箱根鉄道三島田町駅からは北100メートル。
とにかく鳩が多かった。私が境内に足を踏み入れると、参道の鳩が一斉に飛び立つ。なにやら鳩に申し訳がない気分になるが、私が立ち去ればすぐさま戻ってくる。そんな一瞬のやりとりがほほえましい。
小さいながらも、良く整頓されている気配。心地よさを感じる。


「広瀬神社」(伊豆四の宮・式内小社論社)
<三島市一番町鎮座(楽寿園)>

祭神
伊豆国田方郡広瀬神社と同神と仮定するなら・・・
三島溝クイ姫命(事代主命の妃神)

伊豆国四の宮が三島市の広瀬神社とされるが詳細不明。

伊豆国田方郡田京に鎮座する「広瀬神社」(式内社・県社)を国府近くに祀ったものと私は推測?

三島
広瀬神社
三島
神社のある子島。水はない。

この神社は楽寿園の中に鎮座している。楽寿園は三島市立公園であり、国指定「天然記念物・名勝」でもある。入園するのには300円が必要。三島を代表する観光スポットでもある。私は本来は無縁であるが、園内に神社があるのだからしょうがない。

楽寿園は小松宮彰仁親王の別邸跡の公園。
園内の「みや島」にちいさな祠が鎮座。本来は水池のなかに浮かぶはずなのだが、楽寿園を潤してきた池が近年は渇水状態にあるらしい。残念ながら、水はわずかにしかのぞむことが出来ず、その半端な状態は逆にストレスを感じさせるかのような「池」でもあった。
なんか寂しいので市内の清流で潤いを補充しようと思う。


「日隅神社」(五の宮)
<三島市大社町鎮座>

祭神
大己貴命

三嶋大社摂社。大社八所別宮の一つ。伊豆国五の宮とも言う。伊豆国神階帳では「正五位上」記載。
明治10年に三嶋大社末社に指定。

三島
日隅神社
三島
社殿

三嶋大社の東南100メートルの地に鎮座。樹齢五〇〇年の御神木のケヤキが木陰に冷をよんでくれる境内。親子連れが「セミとり」をしていて、境内は小さな公園を兼ねている。地域の鎮守として、理想的にほほえましい光景を垣間見せてくれる気配が好ましかった。


私は三島から箱根に行こうとは思っていた。あまり時間は無いけれども、三島の神社を幾つか自転車で参拝。そんななかでも由緒由来のわかった神社を掲載しておこうと思う。

「間眠神社」(村社・まどろみ神社)
<三島市東本町鎮座>

祭神:豊受姫命

治承四年(1184)。伊豆に流されていた源頼朝は安達盛長を従え、三島大明神に源氏復興の百日祈願を行った。百日祈願の満願の夜に、参道道筋の「松の大樹」の下でつい眠り込んでしまった。松の大樹には、稲荷の祠があり、この祠がのちに「間眠宮」として崇敬された。
もともと、この小祠は韮山町長崎に祀られていたが、狩野川の氾濫によって小祠が現在地に流れ着いた、とされている。
明治社格では村社。

三島 間眠神社と書いて「まどろみ神社」と読む。

社殿がなかなか独創的。
三島 三島

社地は下田街道に向いており、東面している。三嶋大社から下田街道を南に約600メートル。韮山の源頼朝が立ち寄ったというのもよくわかる立地環境。もっとも私は頼朝伝説などは、まったく知らずにたまたま地図で面白そうな名前の神社を見つけたので立ち寄ったら、このような由来の神社だったという不思議な巡り合わせでもあるのだが。
社殿が面白い。正面からと横からとをそれぞれ見れば、なかなか興味深い社殿をしている。縱軸と横軸が交わっており、上から見た姿を想像し、ますますもってそんな独創的な姿も楽しい。


「三石神社」
<三島市広小路町鎮座>

祭神:豊受姫命

創建年代は不詳。宝暦11年(1761)造営の棟札が残っており、それ以前の建立。
源兵衞川の川辺に三ツ石という巨石があり、そこに社を設けて稲荷社を祀ったことにはじまるという。東海道に面しており、三島宿と共に発展。
平成6年に現在の本殿を造営。
境内には「時の鐘」がある。寛永年間(1624−44)に鋳造され、江戸時代から三島宿に時をつげていた名残。現在の時の鐘は昭和25年に再建したもの。

三島 三島
三島 源兵衞川と伊豆箱根鉄道に挟まれた敷地。
そんなに窮屈ではない、開放的ですらある。

伊豆箱根鉄道三島広小路駅から南に50メートル。東海道に面して北面している。
この神社には以前来たことがあった。しかしあいかわらず記憶は妖しげで「伊豆箱根鉄道」しか頭に残っていなかったりするのも困りもの。たしかに私は鉄道に乗りに来ていただけかもしれなかった。
源兵衞川のせせらぎを眺めながら身体を休めて、そして社地後方で曲線を描く伊豆箱根鉄道を眺めていればそれだけで心が和む。箱庭のような整った景観が良い意味で心憎くもあった。


「若宮神社」(村社)
<三島市西若町鎮座>

祭神:誉田別命(応神天皇)

三島市西十一ヶ町の総氏神。創建年代は不詳。三嶋大社境外摂社若宮八幡宮。明治十二年に村社列格し若宮神社と改称。
境内の天神社は大正十一年に合祀されたもの。西小学校の奉安殿を譲り受けて昭和二十一年に社殿としたもの。

三島 三島
三島 若宮神社

地域鎮守として、落ち着いた佇まいをみせる

三島駅を出発する伊豆箱根鉄道が大曲線を描いて南の三島広小路駅に到達する、その外側に鎮座している。三島駅から約600メートル西南。
三嶋大社と若宮との関係を、空想しながら地図をみていたら目についた神社。広めの境内に、林立する樹木。遠望しても、ここに神社があるぞという主張が感じられる。
三嶋大社が遷座する以前の話。三嶋大社と若宮。そして「伊豆の一の宮制」も含めて、いろいろと探せばわかることもあるのだろう。もっともなかなか調べることも難しくて、私の作業もおざなりになってしまうのだが。
そんな意味でも、当社の「若宮」。気になるといえば気になるゆえに足を運んでみた。

午前9時にレンタサイクルを開始した私だが、箱根にいくバスの時間との兼ね合いもあった。11時30分に自転車を返却して(レンタサイクルも全車貸し出し中で大人気だった)、三島をあとにする。
三島の街はなかなか見所が多い。レンタサイクルで駆け抜けるのも良いし、自転車をおりて川沿いを歩くのも良い。2時間30分で用事を済ますには惜しい街ではあるが、私は先を急ぐ。とにかく神社に一点集中して、箱根を目指すのだからあいかわらず慌ただしいのだ。


参考文献
案内看板、由緒書き等。
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名大辞典・22 静岡県


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