「神々の出雲を詣でる・八重垣神魂編」
<平成15年12月参拝・平成16年1月記>
1.「出雲へ」/「出雲大社」
2.「稲佐海岸へ」/「日御碕神社」
3.「八重垣神社」「神魂神社」
4.「六所神社」「真名井神社」
特急にのって2時すぎに松江駅に到着するも、目的地は決めていない。うっすらとした構想のなかで、「出雲風土記の丘」に行こうかなと思っている程度。バス停をながめる。どうやら八重垣神社方面行きのバスがちょうどあるらしい。位置的にもタイミング的にもほどよいので、八重垣神社を次の目的地にする。
バスに乗ると眠くなる。さすがに昼下がり。猛烈な睡魔と格闘しつつ、八重垣神社に到着したのは2時55分であった。
「八重垣神社」 (県社)
<朱印・島根県松江市佐草町鎮座>
祭神:
素盞嗚尊
稲田姫命
合祀
大国主神
青幡佐久佐彦命(佐草宮司家先祖神)
由緒
出雲の斐川にこられた素盞嗚尊が脚摩乳・手摩乳の老夫婦が泣いているのをいぶかり、娘の稲田姫をヤマタノオロチから助け出された。このとき素盞嗚尊は佐草の「佐久佐女の森」(境内奥の院)に大杉を中心に八重垣を築かれて姫を隠し、ヤマタノオロチを倒されたという。こののち素盞嗚尊は佐草の地に宮造りをされ「八雲立つ出雲八重垣妻込めに、八重垣作る、その八重垣を」と稲田姫を娶った喜びをうたわれている。
天津神たる素盞嗚尊と地津神たる稲田姫命が正式結婚をしたという故事に基き当社は縁結びの神として古くから信仰されてきた。
創建時期は不詳ながら記紀にまつわる古社。出雲地域では杵築大社・熊野大社に次ぐ神格・崇敬を誇り朝廷からも篤く遇されていた。
当社はもともとは素盞嗚尊の新居の地である大原郡大東町須賀に鎮座していたのをのちに遷座させたという。
延喜式神明帳には佐久佐神社と記載されるも、当社「八重垣神社」と、国府の「六所神社」が論社とされている。
明治5年に佐久佐神社として郷社列格。同9年に県社となり、同11年に八重垣神社と改称された。
境内奥地に佐久佐女の森があり、その奥に「鏡の池」という池がある。この池は稲田姫が御避難中の飲料水とし、姿をお写しなされた池であり、姿見の池ともいう。稲田姫命の御霊魂が根づいている池であり、縁結びの池として著名。すなわち紙片に硬貨を乗せて早く沈めば(15分以内)良縁はやく、遅く沈むと(30分以上)、縁がおそく、近くで沈むと身近な人、遠くで沈むと遠方の人と結ばれるといわれている。
<神社由緒書・神社辞典参考>
八重垣神社正面 |
本殿 |
鏡の池 |
佐久佐女の森 |
八重垣神社。人がちらほらいるのは観光地的でもあるから。それでもささやかにいる程度なので、静静とした環境であることは変わらない。朱印を頂いている間に、参拝をすまし境内を散策する。クシイナダ姫神とスサノオ神の社。記紀以来のエピソードにまつわる当社は、極めて女性的やさしさにあふれていた。
境内奥に「池」がある。恋願成就・縁結びとして、よく話にも聞く有名な池。もっとも私には関係ないわけで、私はその景観を楽しむために見聞する。神威的に満ち足りた森は、其処にいるだけで心を穏やかにしてくれた。
八重垣神社から歩き始める。次の目的地は神魂神社とする。八重垣神社から約2キロほど東離れている。二キロほどなら、さして問題ない距離。目の前のコンビニで軽く食料調達をして、歩み始める。
ちかくに高校がある。私になんらなじみはないけど、私の出身大学になじみがある高校。大学付属高校は、なぜに松江の地にあるのかは不明である。不明ではあれど、目の前に出身大学の文字が飛び込んでくると他人事ではないような気がする。そんな高校へむかう道を帰宅途中の学生とすれ違うように歩くと、出雲国造館推定跡地という看板に続いて鳥居がみえてくる。
どうやら、間違いない様だ。微妙に道が不安だったので、そこに神社があるとわかるときに安心感が嬉しい。
「神魂神社」 (かもす神社・大庭大宮・県社)
<朱印・島根県松江市大庭鎮座>
祭神:
伊弉冊大神(イザナミ)
伊弉諾大神(イザナギ)
由緒
当社は大庭大宮ともいわれ、出雲国造の大祖である天穂日命が、ここに天降れて御創建され、伊弉冊大神を祀ったことにはじまるという。
しかし出雲風土記にも延喜式にも記載はされておらず、創建は平安中期ごろと推定されている。
当地は出雲国府国庁にほどちかく、古代出雲の中心地であり、出雲国造の本拠地でもあった。出雲国造は郡領兼務の禁令(すわなち政治と祭事の分離。延暦17年・798)が出るまでは大庭の地にいたと考えられ、出雲国造が杵築に移転しても大庭は重要な祭祀場として機能していた。
本殿は日本最古の出雲造(大社造)神殿であり、国宝指定。正平元年(1074)のものとされている。
また貴布禰稲荷両神社本殿も室町時代造営のもので国重要文化財に指定されている。
<神社由緒書・神社辞典参考>
神魂神社参道一の鳥居 |
二の鳥居 |
石段をあがると、かむさびた空間が待っていた。 魂が震える瞬間。 威厳ある気配に圧倒される。 |
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神魂神社正面 |
神魂神社本殿(国宝) |
この向きが神座正面 |
神の森に佇む美麗なる社殿 |
本殿正面 |
貴布禰稲荷両神社本殿(国重要文化財) |
15時45分。正面参道に到着。八重垣神社から30分ほどの時間がかかってしまった。
神魂神社は国宝でもある。国宝という重圧的なイメージもかさなるように境内に向かう一歩一歩が重くなる。
参道をあゆむ、なだらかなる坂を登ると右手に石段があらわれた。急な石段を登る。見上げるように登ると拝殿がある。そして国宝たる本殿があり、摂末社がひろがる開けた空間があらわれる。
落ち着き無く急く心で、参拝。参拝をおえれば、すぐさま社殿を横視する。しばらくみつめる。日本最古の大社造りはどしりと私に話しかけてくる。歴史の息吹の中で、私は身動きを忘れたかのように感動でひたすらに凝視する。前、後。右、左。あらゆる角度。遠近を合わせていったりきたり。何度も何度も、社殿をながめる。うれしくてうれしくてしょうがなかった。
ただ、みあきることは無いけれども日が陰ってくる。夕方の日差しは燃えるようにストレートな差し込みを表す。そろそろ時間が心配になってくる頃合い。さきほどまで境内で掃除をしていたお人が、どうやら神職さんらしい。社務所に戻られた際に朱印を頂戴する。朱印を頂戴し、もう一度名残惜しげに境内を散策する。
さてこのあとが問題である。まだ日差しは生きている。まだ撮影に耐えられる日差しを保っている。800メートルほど東に行くと「八雲立つ風土記の丘」があり、その先1.2キロほど東に向かったところに出雲国庁跡がある。出雲国庁跡に隣接するように「六所神社」という出雲国総社にして式内論社がある。せっかくなのでそこまで足を伸ばしたいとは思う。ただ、時間が問題であり、私はひたすらにあしばやに、先を急ぐ。
参考文献
神社由緒看板及び御由緒書
神社辞典・東京堂出版