「伊豆相模の神社風景・伊豆山神社編」
<平成15年3月参拝・平成15年5月記>
目次
「伊豆山神社」
「小田原と川匂神社編」/「鎌倉の神社編」
春の18きっぷシーズン。特に格別遠出をする予定はなかったが、毎回のことだから購入している。とりあえず遣わないと損なので、東海道の近場を散策することにする。
春の陽気が感じられる3月半ば。熱海まで下って「伊豆山神社」。そして小田原と川匂神社を見聞して、鎌倉の神社を駆け足で参拝するつもりではあった。
「伊豆山神社」(式内小社・国幣小社・静岡県熱海市伊豆山上野地鎮座)
<御朱印>
御祭神:伊豆山神(火牟須比命・伊邪那伎命・伊邪那美命)
古来、伊豆山権現、走湯大権現、伊豆御宮、走湯社とも称した。また伊豆山、走湯山とも呼称していたが、明治期以降は「伊豆山神社」に改められた。
創立年代は明かではないが、5代孝昭天皇の頃の創建という。延喜式神明帳に記載されている火牟須比命神社が当社の事であるという。古くから、温泉の霊験を神として祀った神社とされる。
当社は日金山(久地良山・伊豆高嶺・十国峠)に鎮座していたが、次いで本宮山に移転。さらに現在地に移転したものであるという。16代仁徳天皇が勅願所に定めて以来、22代清寧・30代敏達・33代推古・36代孝徳・105代後奈良天皇(御奈良帝奉納御宸筆心経は重文)の勅願所となっている。
平治の乱後、伊豆国に配流となっていた源頼朝は源氏再興を当社に祈願し、のちに鎌倉幕府を開くに及んで当社を篤く崇敬し箱根神社とともに二所権現と称し、鎌倉幕府最高の崇敬社として関八州総鎮護とされ、以後は大いに発展した。
当社は明治以前は神仏習合の社として、役小角や弘法大師をはじめ多くの山嶽仏教徒や修験者が入峰した霊場であった。後白河帝による梁塵秘抄には「伊豆の走湯、信濃の戸隠、駿河の富士山、伯耆の大山」が四方の霊験所とされている。
昭和3年に国幣小社列格。
現在の社殿は、大正12年の震災後の昭和6年から11年にわたって整備されたもの。神社の真下は伊豆の走り湯として知られる伊豆山温泉がある。
伊豆山神社正面 |
大鳥居の先は石段が延びる |
境内 |
拝殿 |
拝殿 |
本殿 |
富士山と太平洋を馳走に睡眠をむさぼる。気が付けば終点の熱海駅。JR東日本的には終着駅なのだ。しばし駅のロータリーで休んでからバスに乗ること約10分。冗談みたいな山道を進んで中腹に鎮座している「伊豆山神社前」で下車する。
高台の神社からは、きらめく太平洋を一望できる。この光景を満喫しているのは私一人。なんとも贅沢な神社であった。
誰もいない境内。社務所でゆっくりと朱印を頂戴する間に、境内を散策。山の緑と同化している境内は参道だけが開放的でもあり、鬱蒼とした木々に覆われていた。振り返れば、海風が鼻をくすぐる。山の香りと潮の香りが境内を包む。さすがに清少納言の枕草子にはホトトギスの名所、「子恋ノ杜」と呼ばれているだけのことはあった。とにかく、時間を忘れて長居をしたくなる神社であった。
伊豆山神社からさらに山を登れば「興亜観音」があるという。最初は行こうかとも思っていたが、バスの時間が悪かった。興亜観音の話をはじめると昭和史から東京裁判の話までしなくてはいけなくなるので、ここでは遠慮するが、とにかく行こうかとは思った。しかし伊豆山神社で私は満足してしまった。満足してしまうとお腹も空くし、早く熱海駅に戻りたくなってくる。
熱海駅から東海道線を戻るようにして小田原に向かう。とくに小田原に神社があるわけではないが、時間的に小田原に寄りたくなっただけ。せっかくだから小田原城でも眺めて置こうかとは思う。
・・・以下は「伊豆相模の神社風景・小田原と川匂神社編」にて
<参考文献>
神社由緒看板及び御由緒書
神まうで・昭和14年・鐵道省
神社辞典・東京堂出版