「常陸国の総社」
<平成7年3月参拝>
更新は4月も半ば。しかし写真は雪。更新が遅れて季節はずれではあるが、それでも地道に更新はする。
茨城には2月3月4月に4回ほど訪れている。いずれも「私鉄」に乗るため撮るため。
「日立電鉄<17年3月末に廃線>」「鹿島鉄道」「茨城交通」等々。
実は私は鉄道を趣味ともしているのだ。
石岡には「鹿島鉄道」がある。そして「総社」もある。そんなわけで「石岡」なのだ。
「常陸国総社宮」(県社・常陸国総社・石岡総社神社)
<茨城県石岡市総社鎮座・朱印>
祭神
伊弉諾尊・素戔嗚尊・瓊瓊杵尊・大国主命・大宮比売命・布留大神
創立年代は不詳。天平年間に国府南方の日本武尊の遺跡跡という神石(境内に日本武尊腰掛石あり)のちかくに創建され、天神地祇6神を祀ったことに始まるという。
中世期には総社神社神主職の清原氏は一之宮鹿島神宮の神事役を催促して祭礼をとりまとめる奉行職的な役割をはたしており、中世の国衙機能のなかで神事行政の中心的な位置づけでもあった。
明治4年郷社列格。明治31年県社昇格。
常陸国総社宮 |
残雪がのこる |
拝殿前に石段あり。結構、急だ |
本殿 |
社殿群 |
神門からみると社殿は左側 |
参道 |
参道鳥居 |
石岡にきたのは「鹿島鉄道」のためらしい。神社、それも総社があるのだからだまっていられない。
午前8時30分。朝の残雪に少々の寒さを感じる。あいかわらず、こんなときに神社を詣でるストイックなヤツは少ないだろう。ましてや雪の朝。道中を歩く人ですら少ない。
石岡駅からは西に約1キロ。境内は広く、そして参道と社殿のレイアウトが少々わかりにくく入り組んでいる。裏参道かと思った参道の石段を昇ると、目の前にいきなり拝殿があり、神門のある参道は立派だけれども、社殿からみれば脇に位置しているうえに、参道が折れるので「コの字型」になってしまう。おかげさまで歩いていて見事に方向感覚を見失う私がそこにいたのだが。
残雪の社殿を拝し、朝方の社務所に迷惑ながらにおしかけて朱印を頂けば、なにやら巫女さんも寒そうな気配。ホントにご苦労様です。
私は石岡駅で人と待ち合わせをしていた。鹿島鉄道を乗ろうという鉄道同行者ではあるが。そんなわけで石岡駅に行かねばならないのだが、ところが道に迷う。東側の駅に向かっていたはずが、いつのまにか北に歩んでいた。
「青屋神社」
<茨城県石岡市総社鎮座>
祭神:
天照皇大神・鵜葺草葺不合尊・武甕槌命
創立年代は不詳。
常陸国司は都から着任する時に鹿島神宮に参拝するのが習わしであった。高浜から船で鹿島に赴くのが慣例であったが、悪天候等で出港できない時は、高浜のなぎさにススキやヨシなどで「青屋(仮屋)」をつくり、そこから鹿島を遙拝して参拝にかえたという。当社は「青屋」にちなむ神社。
平成16年6月、拝殿改築。<総社宮サイト・案内看板参照>
青屋神社 |
予期せずに神社に遭遇。石岡総社からは北に300メートル。石岡小学校の北側に青屋神社、そして南側に石岡総社なので、わかりやすくいうと小学校を挟んだ立地。
なんとなくではあるが、歩いていて神社に出逢うと嬉しくなる。青屋神社というちいさな神社。案内看板を読み、そうかそうかと納得してみる。こういうささやかな歴史の息吹と歴史の物語が好きだ。
丁度良いので、地図を見る。最初から地図をみれば良いのだが横着するから迷うのだ。
このちかくに他にも神社があるようなので、せっかくなので更に北上。
「若宮八幡宮」
<茨城県石岡市若宮鎮座>
祭神
息長足姫尊・誉田別命・姫大神
神亀5年(728)9月の創建。永保2年(1082)に八幡太郎義家が奥州安倍貞任、清原武則追討の為、当社に参詣し、朝敵退散を祈願。
応永2年(1395)に太田道灌が当社に参詣し、武運長久を祈願。
天正18年(1590)に兵火によって社殿焼失。寛永7年再建。寛文5年に松平伊勢守が本殿拝殿を修造。
<境内案内看板参考>
若宮八幡神社 ちいさいけど、よくまとまった気配は良い感じ。 |
青屋神社の北200メートル。常陸国総社からは北に500メートル。ちょうど道路が社頭前で直角に折れているので、わかりやすい。若宮八幡ゆえに字も若宮。神社を地名にしているところは、土地柄もよさげな感じで偲ばれる。
ちいさな境内であれど、神門が備わっており、八幡様らしい息づかいの社殿に感心する。
せっかく人が感心しているのに、無粋に電話がなると、俗に引き戻される。
そろそろ鹿島鉄道へそそぐ鉄道趣味の時間になつたらしい。
足早に石岡駅に戻る。ちなみに若宮八幡からも駅までは1キロを東に歩く道のり。
そんなこんなで「鹿島鉄道」ではこんな写真を撮るのだ。私は。
参考文献
境内案内看板・由緒書
角川日本地名大辞典・茨城県
神社辞典(東京堂出版)
常陸国総社宮サイト
他